記事を3行で解説
➀幼少期の母との確執が権威への徹底的な反発心となり、「フリーソフトウェアの父」リチャード・ストールマンを生んだ。
➁MITでのハッカー文化崩壊を機に、たった一人で巨大企業に対抗するためのGNUプロジェクトを立ち上げ、GPLライセンスで「自由」を守り抜いた。
➂現代ではその厳格さが孤立を招く面もあるが、彼が築いた礎はLinuxなどを通じて今日のIT社会を支えている。
フリーソフトウェアの「フリー」って何?
やっぱりフリー(無料)が最強~!
カトウよ、その考え方は、IT業界の伝説的巨人「リチャード・ストールマン」に一番怒られるやつじゃ!
なんで怒られるんですか?
つまり、タダで使えることよりも、誰にも支配されずに自由に改良できることを重視したのである~
今のスマホやネットがあるのも、この頑固オヤジのおかげと言っても過言ではない!
俄然興味が湧いてきました!
その変人…じゃなくて天才の話、詳しく教えてください!
リチャード・ストールマンとは?

本名リチャード・マシュー・ストールマンは、1953年、ニューヨークで生まれました。
ストールマンは、第二次世界大戦の退役軍人の父と、教師であり芸術家でもあった母アリス・リップマンの間に生まれました。
特に母親のアリスは非常に知的で、エネルギーに溢れ、そして支配的な女性でした。
この母親との関係が、ストールマンの人格形成に決定的な影響を与えることになるのです!
母との確執
ストールマンと母親は、夕食のテーブルで毎晩のように激論を交わしていました。
母親が何か言えば、幼いストールマンは論理的な矛盾を即座に指摘し、絶対に折れません。
彼は後に、「母の言う通りにするくらいなら、死んだほうがマシだと思っていた」と語るほど、他者からコントロールされることを極端に嫌っていました。
この「権威への徹底的な反抗心」こそが、後のマイクロソフトやAppleに立ち向かう精神の原点だったのです!
人生の転機:サマーキャンプと「マニュアル」
12歳の頃、才能ある子供を集めたサマーキャンプに参加しました。
ここで彼は初めて自分と同じ言語(数学・論理)を話す仲間に出会います。
「変人」扱いされず、知的な会話ができる喜び。
これが、彼が後にハッカーコミュニティ(仲間)を何よりも大切にし、その崩壊を嘆いた原体験となっています。
天才って、やっぱり少し切ないですね…
私も家に帰ったら、今日はお母さんの言うこと素直に聞こっかな…
幼少期の孤独と、権威への反発…それが彼を「フリーソフトウェアの父」へと変えることになる。
まあ、今でもその”反発心”が強すぎて、いろいろトラブルも起こすんだがな(笑)
ハッカー文化の黄金時代

ストールマンは、ハーバード大学に進学しましたが、成績がずば抜けていたため、MIT(マサチューセッツ工科大学)のAI研究所にスカウトされます。
ここが、彼の人生を決定づける「楽園」でした。
当時のAI研究所は、ハッカー(技術を愛し探求する人)たちのユートピア。
そこには、こんな暗黙のルールがありました。
- 情報はすべての人が使えるべきだ。
- 鍵なんてかけるな。
- 誰かのコードがバグっていたら、勝手に直してあげよう。
当時のハッカー文化についてはこちら!

Emacs
ストールマンはこの文化を愛し、彼はここで、仲間と夜通しプログラミングに没頭することになります。
ある日、AI研究所で多く利用されていたラインエディタ「TECO(Text Editor and Corrector)」の改良に携わることになりました。
この改良版は「Editing MACroS」を意味する「Emacs」と呼ばれ、AI研究所で高い評価を得て、1976年以降研究所内では標準で使用されるようになったのでした。
ストールマンは「Emacs」の成功で大きな自信をつけ、「Emacs」がそれぞれカスタマイズされて、プログラムが分裂化していく喜びを味わいました!
楽園の崩壊
1977年、AI研究所はパスワード制を導入します。
企業秘密を守るため、研究所のコンピュータにパスワードがかけられるようになりました。
激怒したストールマンは、みんなのパスワードをハッキングして解析し、「空文字(パスワードなし)」に変更して回るという、今なら逮捕されそうな抵抗運動を展開します。
しかし、この反対行動に賛同する人は20%しかおらず、結局パスワード制は継続することになりました。
決定打となった「プリンタ事件」
そして、AI研究所を分裂する事件が起こります。
ある日、研究所にゼロックス社の新しいレーザープリンタが導入されました。
このプリンタはよく紙詰まりを起こしました。
以前なら、ストールマンがドライバのソースコードを書き換えて、「紙が詰まったぞ!」と全員に通知する機能を追加すれば解決でした。
しかし、ゼロックス社はソースコードを秘密にし、公開を拒否したのです。
「自分たちの道具を、自分たちで直すことすら許されないのか?」
この時、彼は悟りました。
「プロプライエタリ(独占的)なソフトウェアは、ユーザーを支配し、分断する悪だ」と。
でも、そんな彼を本気で怒らせたのが「プリンタの紙詰まり」だったなんて…
もしゼロックス社が「あ、ソースコード見せてあげるよ」と言っていたら、今のLinuxも、Androidも、フリーソフトウェア運動も存在しなかったかもしれないな!
ここから彼は、たった一人で巨大企業という「悪」に立ち向かう、孤独な戦士へと変貌していくわけじゃな。
さあ、いよいよ伝説の「GNUプロジェクト」の幕開けじゃぞ!
GNUプロジェクトとLinux

さらに、コンピュータの世界は変わり始めていました。
1970年代後半から80年代にかけて、コンピュータは「研究対象」から「商売道具」になりました。
その結果、AI研究所では、LISPマシン開発の対立にメンバー達も巻き込まれ、内部分裂。
研究所の仲間たちは次々と企業に引き抜かれて、AI研究所はもぬけの殻になってしまいました。
そこで、残されたストールマンは、1983年、歴史的な決断をします。
「UNIXという商用OSに支配されるくらいなら、俺が一人で、完全に自由なOSを一から作ってやる」
これが、GNU(グニュー)プロジェクトの始まりです。
UNIXについてはこちらの記事をチェック!

驚異のワンマンアーミー
1984年には、GNUプロジェクトに専念するためMITを辞めてしまいました。
1985年は「GNU宣言」を発表し、コピーライトにより制限されることのない自由なOS「GNUオペレーティングシステム」の開発に取り組みます。
そして、彼はMITを辞め、とんでもない勢いでプログラムを書き始めました。
- GNU Emacs: 最強のテキストエディタ
- GCC (GNU Compiler Collection): プログラムを翻訳するコンパイラ
- GDB: バグを見つけるデバッガ
これらは現在でも世界中の開発者が使う神ツールですが、彼はこれらをほぼ一人で作り上げました。
Linuxとドッキング
1990年代初頭、ストールマンの計画は99%完成していました。
コンパイラ、エディタ、シェル…
すべて揃っていましたが、唯一、OSの心臓部である「カーネル」の開発だけが難航していました。
ちょうどその頃、リーナス・トーバルズが「Linux」をMINIXのメーリングリストに公開し、支持を得るようになっていました。
彼が趣味で作った「Linuxカーネル」は、ストールマンの作ったGNUツール群と組み合わさることで、初めて完全なOSとして動くようになりました。
リーナス・トーバルズの記事はこちら!

GNU/Linux(グニュー・リナックス)
LinuxがGNUでの利用が可能であると、LinuxとGNUを結ぶ開発がされ、実用的なオペレーティングシステムが完成します。
ユーザーたちはGNU/Linuxと呼ぶようになり、オペレーティングシステムを自由に改良していきます。
ただ、一般的にこのOSは「Linux」と呼ばれますが、
「OSの大部分を作ったのは我々GNUだ。だから『GNU/Linux(グニュー・リナックス)』と呼ぶべきだ!」
ストールマンはこれに不満で、今でもこの呼称にこだわっています!(こだわりが強いのも彼の特徴です!)
それって、「車のボディもタイヤもハンドルも全部手作りした」ってことですよね?
しかも世界最高レベルの性能だ。
そこにリーナスが「エンジン(カーネル)」を持ってきたから、車として走り出したわけだ
でも、その悔しさがあるからこそ、彼は今でも「名前をちゃんと呼べ!」って言い続けてるんですね。
意固地になってるんじゃなくて、誇りを守ってるのかな?
めんどくさいおじさんに見えるが、そこには「俺たちが作った自由の魂を忘れるな!」という熱いメッセージが込められておるんだよ!
ストールマンの信念

ストールマンはソフトウェア運動でコピーレフトを伝えていきました。
コピーレフトを基本とする「フリーソフトウェア財団」を創設し、フリーソフトウェア運動を始めました。
ストールマンが定義した「フリーソフトウェア」には、以下の4つの自由が必須。
- 第0の自由: プログラムをどんな目的のためにも実行する自由。
- 第1の自由: プログラムを研究し、自分の必要に合わせて改変する自由。(ソースコードが必要)
- 第2の自由: 近所の人を助けるために、コピーを再配布する自由。
- 第3の自由: 改変した版を配布し、コミュニティ全体に利益をもたらす自由。
コピーレフトはコピーライトと相反し、著作権を持っていても、ソフトウェアのコピーや改変を制限せず、再配布も許可しています。
それは再配布を受けた人も同様で、改変したソフトウェアに制限を設けることはできません。
ライセンスを守りながらも、ユーザーは自由にソフトウェアを使用でき、改良されてプログラムも発展していく。
しかしフリーソフトウェアは何よりも、多くの人がソフトウェアを共有することによりコミュニティが生まれる。
これはストールマンが求めるフリーソフトウェアの姿でした。
彼はハッカーであって、「コード(技術)」と「ライセンス(法律)」、そして「執拗なまでの悪口(批判)」で攻撃したのだ!
…小さい人間じゃないですか(笑)
「お前たちのやっていることは便利かもしれないが、倫理的に”悪”だ!」と叫び続け、彼らに支配されないための避難所(GNUシステム)をたった一人で建設し始めたんだ
VS マイクロソフト: 「独占」との戦い
1976年、若き日のビル・ゲイツは『ホビイストへの公開状』という有名な手紙を書きました。
「ソフトウェアを勝手にコピーするのは『泥棒』だ。開発者に対価を払え」
これが、マイクロソフト帝国の始まりであり、「ソフトウェア=商品」という時代の幕開けでした。
これに真っ向から喧嘩を売ったのがストールマンです。
最強の罠「GPL」を仕掛ける
マイクロソフトの戦略は技術をブラックボックスにして、ユーザーを囲い込むことでした。
これに対し、ストールマンは「GPL(General Public License)」というライセンスを作りました。
もしマイクロソフトが、Linuxのコードを盗んで自社製品に組み込んだとしても、GPLのコードを一行でも使ったら、そのソフト全体のソースコードを無料で公開しなければならない
というルールです。
彼らはコードを秘密にしたいから、GPLで守られたLinuxの技術を盗むことができない。
当時のMSのCEOスティーブ・バルマーは、Linuxのことを「癌」と呼んで恐れたほどだ
VS Apple: 「デジタル監獄」との戦い
実は、ストールマンはマイクロソフト以上に、Appleを激しく憎んでいます。
なぜなら、Apple製品は「デザインは美しいが、中身は世界で一番不自由」だからです。
彼はiPhoneやiPadのことを「iBad(有害な)」「iGrave(墓場)」といったダジャレで呼び、徹底的にこき下ろしています。
App Storeの検閲については 「Apple様が認めたアプリしか入れられない? それはコンピュータではなく刑務所だ」
修理の禁止については「自分でバッテリー交換もできない? それは君の持ち物ではなく、Appleからの貸与品にすぎない」
彼は、「スティーブ・ジョブズは”魅惑的な監獄”を作った天才看守だ」とまで言い放ち、「便利さと引き換えに”自由”を売るな」とユーザーに説教し続けました。
みんなiPhone使ってるし、Windowsも元気ですよね?
じゃが、歴史としてはストールマンが勝ったとも言えるんじゃ。
現在、マイクロソフトは「Microsoft Loves Linux」と公言している
かつて「癌」と呼んだ技術を、取り込まないと生き残れないほど、ストールマンが蒔いた種は巨大化したってことだ
「App Store以外からのアプリインストール」が義務化されようとしているのは、まさにストールマンが30年前から叫んでいたユーザーの権利そのものだ!
しかし、これこそが”ハッカー流の立ち向かい方“だ!
彼が作った「GPL」という強力な守り神があったからこそ、Linuxは誰にも乗っ取られず、世界中のエンジニアが協力できる土壌ができたんだ
誰よりも純粋に”自由”を愛す

ストールマンのGNUプロジェクトの功績に、グレース・ホッパー賞など多くの賞が授与されました。
それでもストールマンはおごることなく質素な生活を続け、プライバシー保護のため携帯電話を持ちません。
さらに、FacebookやAmazonも “ユーザーの自由を奪う監視装置“として徹底的に批判しています。
2025年現在、ストールマンはフリーソフトウェア財団の理事に留まっていますが、組織としては以前のような輝きを失いつつあります。
Red Hatなどの大口スポンサーが離れた影響は大きく、資金面や影響力で孤立。
また、現代の若い開発者は「Github」や「オープンソース(実利主義)」で育っており、クラウド禁止、スマホ禁止などのストールマンの厳格すぎる思想にはついていけなくなっています。
彼が作った「自由」という概念は世界中に広まりました、皮肉なことに「時代というOS」がアップデートされた結果、彼自身が「互換性のない古いドライバ」になってしまったのかもしれません。
でも、彼が頑固に守り抜いてくれたおかげで、今の僕たちが「無料で自由に」Linuxを使えてるのは事実。
彼を「神様」として崇める必要もないし、「老害」として切り捨てるのも違います。
ただ一つ確かなのは、「誰かが泥をかぶって『自由』を叫び続けたから、今のネット社会がある」という事実です。
その恩恵を受けている我々は、彼を「とてつもなく不器用で、誰よりも純粋な一人の人間」として記憶しておきましょう!
ITエンジニアの平均年収は?
ストールマンの信念により、ソフトウェアは一気に発展することになりました。
そして、現在、ますます人気の職業となったITエンジニア。
そんなITエンジニアの平均年収、ちょっと気になりませんか?
ITエンジニアの年収は、一般的に約458万円~462万円と程度といわれています。
この数字は、日本の平均年収と比べても高い水準にあります。ただし、年収は経験年数やスキルレベル、勤務先企業によって大きく異なるため、一概には言えません。
一方で、フリーランスエンジニアの平均年収は全体の平均値は約765万円で、1000万円を超える人は全体の7.5%もおり、しっかり稼げている人が会社員エンジニアよりも多い割合です。
高度な分野は、1500万円、2000万円と、さらに上も狙えて、有名企業の案件に携われるのも魅力的。
ITエンジニアのお金の話
ストールマンの信念により、ソフトウェアは一気に発展することになりました。
そして、現在、ますます人気の職業となったITエンジニア。
そんなITエンジニアの平均年収、ちょっと気になりませんか?
ITエンジニアの年収は、一般的に約458万円~462万円と程度といわれています。
日本の平均年収より高い水準ですが、エンジニアの世界には、年収1,000万円超えのポジションもゴロゴロ。
せっかくのスキルを、「なんとなくの年収」で安売りしていないでしょうか?
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代表は当時、フリーランスとして大手有名WEBサービスなどで活躍していました。
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