記事を3行で解説
➀Windows95の登場が、MS-DOS時代からの転換点となり、パソコンが一気に身近になった。
➁当時はVisual Basicが全盛で、クライアント・サーバからWebシステムへの移行が始まった。
➂エンジニアの待遇は悪くなかったが、キャリアパスは限られ、今の自由な働き方とは対照的だった。
【屋台アイティーアン軒】
今宵も悩めるフリーランスエンジニアが屋台へ訪れる…

今日は何にする?
あれは、Windows95が出た年。
あの瞬間、世界中のエンジニアが震えたんだ
あれを境に、開発現場の空気も、エンジニアの生き方も大きく変わっていったんだぜ
30年前、OS環境に革命…!?

今日は、Windows95をイメージしたラーメンだ
ラーメン屋で「Windows95」は渋すぎませんか?(笑)
ほら、まずは一口食ってみな
う、うまい……ッ!
この旨味の深さ、まるでWindows95の衝撃…!
麺ををすすりながら、30年前の1995年にタイムスリップしてみようか
30年前の1995年。
あの年、ついに Windows95 が世に放たれました。
それまでパソコンを支配していたのは MS-DOS。
会社のお偉いさんのパソコンには「Windows 3.1」が入っていて、若手社員がみんな「なんだあのカラフルな画面は!?」と羨ましそうに眺めていた時代です。
令和の皆さんには伝わらなそうですが、MS-DOSとは、(乱暴に言えば)”Linuxの祖先”みたいなもの。
画面は黒地に、カーソルがチカチカ点滅するだけ。
そこにひとつひとつコマンドを打ち込んで、ワープロなら「一太郎」、図形描画は「花子」、表計算は「ロータス1-2-3」を起動する。
そんな職人じみた操作が、当時の「日常」でした。
さらには、ウィンドウを複数開くという概念すら存在せず、作業は常に一度にひとつだけの時代。
そこに現れたのが Windows95でした!
スタートボタン、タスクバー、マルチウィンドウ、そして、ダブルクリック。
今では当たり前のこれらすべてが、初めて世界に登場した瞬間だったのです!
初めて複数のソフトを同時に動かしたとき、みんな心の中で叫びました。
「こ、これが未来だ……!」
それは、まさにパソコンが人間の生活に入り込んだ瞬間だったのです。
30年前のWindows95こそ、現在の開発環境への最初の大きな一歩でした。
令和の若い子たちは、誰も知らないでしょうね(笑)
それにしても、当時のWindows95フィーバーはものすごかった
23日の0時に販売解禁を迎えた秋葉原にはWindows 95を求める人がごった返し、まるでお祭りのような事態になってましたよね
マイクロソフトのサポートセンターで働いていた友人は、電話が鳴りっぱなしで寝られなかったそうだ
時代を感じるなぁ
30年前のエンジニアの待遇ってどうだったの?
当時から意外と悪くなかったんだぜ
今と変わらず、当時もエンジニア不足は深刻で、常に人手が足りない状況でした。
だからこそ、会社も待遇にはある程度力を入れていました。
「土日祝は休み」「残業代もしっかり支給」「有給もとりやすい」「一部はフレックス勤務」
今と大きく変わらないどころか、むしろ今より環境が良かったかもしれないと感じる人もいたとかいなかったとか…(笑)
ただし、ひとつだけ大きな問題がありました。
それはキャリアパスの狭さです。
まずはプログラマとして現場に入り、数年後システムエンジニアに昇格。
その先は“管理職”の道しか見えていませんでした。
現場でコードを書き続けたくても、給料を上げようと思えばスーツを着て会議に出るしかない。
そんな構造だったのです。
いわゆるフェロー職やテックリードのようなポジションも存在しねぇ時代だ
フリーランスって言葉も、まだ一般的じゃなかった頃ですしね
当時は「会社に属して働く」のが当たり前だったからな。
でも今は、技術一本で生きるも良し、独立して働くも良し。
本当に、いい時代になったな
30年前の開発環境ってどんなの?
辛いことも多かったな…
当時は、まだ汎用機やオフコン(オフィスコンピュータ)が主流。
ようやく「より安価に構築できるUnixサーバ」に移行する“ダウンサイジング”が始まったころでした。
クライアントとサーバを分けて運用する、いわゆるクライアント・サーバ方式が注目され始めた時代です。
サーバ側の開発言語は「COBOL」か「C」。
クライアント側は、ほぼ「Visual Basic」一択。
今思えば、必要なスキルセットが少なく、むしろ開発者にとっては生きやすい時代でもありました。
ただし、問題は設計でした!
当時は、詳細な設計書や明確な仕様定義が存在しない現場が多く、「概要設計をざっくり口頭で共有 → プログラマが手探りでトライアンドエラー」という開発スタイルが一般的でした。
結果として、仕様はプログラマの頭の中という恐ろしいシステムが量産されていきます。
担当者が異動したり退職した瞬間、そのシステムは実質ブラックボックス化。
改修を試みても、動かすたびに予期せぬバグが噴出し、ついには「誰も触れないシステム」になっていく…
そんな悲劇があちこちで起こっていました。
今でこそ設計書やコードレビューが当たり前だが、当時は“プログラム開発そのものが試行錯誤の文化”だった
VisualBasicが一世を風靡した時代
クライアント側といっても、画面が表示されてキーボードが打てるだけの“DUMB端末”ばかり。
名前の通り、端末自身には頭脳が無ねえ(笑)
パソコンがようやく“業務で使えるレベル”にまで進化してくると、生まれたキーワードが 「ダウンサイジング」でした。
その波の中で、開発者たちのハートをつかんだのが Visual Basic。
特に後期の Visual Basic 6.0 は、まさに時代を象徴する存在でした。
当時の現場では「システムといえばVB6」と言われるほど。
- BASICベースの理解しやすい構文
- 一式そろったIDEによるオールインワン開発環境
- 実行ファイル(.exe)を配布すれば即動く手軽さ
これらが、企業システム開発を一気に民主化しました。
プログラムを書くことが”専門家だけの仕事”ではなくなり、街の中小企業でもシステムを内製できる時代が来たのです!
最大の弱点は、ネイティブコンパイルできなかったこと。
当時のPCはまだ非力で、C言語のようなネイティブコードと比べると、VBはどうしても実行速度が遅かった
でも、VBが生み出した“すぐ作って動かせる文化”は、その後のWebアプリケーションやスタートアップ文化の礎になったと言っても過言ではねえな
Webシステムという新しい概念が生まれた時代・・・
Javaは、当時のVisual Basicとはまったく方向性が異なる”サーバ開発寄り“の言語でした。
VBがクライアントの画面や操作性に強みを持っていたのに対し、Javaはネットワーク越しの処理を得意としたのです。
一応、クライアント上で動かす「アプレット」や「サーブレット」といった仕組みもありました。
しかし、処理速度はVBよりも格段に遅く、業務アプリケーションの現場ではまったく流行りませんでした。
でも、Javaが登場したことで「Webシステム」という新しい概念が生まれたのです。
当時のクライアント・サーバ型システムは、クライアント端末ごとにアプリをインストールしなければならず、100台あれば100回インストール…という、とんでもない手間が必要でした。
もちろんキッティングで多少の効率化はありましたが、現場はいつも「アップデート作業との戦い」でした。
そこに現れたのが、ブラウザさえあれば動く Webシステム です。
しかもWindowsには標準でInternet Explorerが搭載されており、ユーザー側に特別な設定はほぼ不要。
この「ブラウザだけで完結する」アーキテクチャは、運用担当者にとって夢のような仕組みだったのです。
Javaはその波に乗り、かつてのクライアント・サーバ型アプリを次々と飲み込んでいきました。
初期のWeb画面は味気ないグレー一色でしたが、HTMLやCSS、JavaScriptが発展するにつれ、見た目もどんどん洗練されていきます。
そしてこの流れが、今日まで続くWebアプリケーション開発の礎となったのです!
JavaがWeb時代の扉を開いたわけですね。
当時は混沌としてたけど、どの現場にも”未来を信じる熱“があった。
今の洗練された技術も、あの頃の挑戦があったからこそだ。
30年の進化をこうして聞くと、まるで一冊のドキュメンタリーみたいですね
だからこそ、これからコードを書く若いエンジニアたちにも伝えたい。
「焦らず試行錯誤を楽しめ。今の君の1行も、誰かの未来につながっている」ってな
僕も、明日からまたがんばれそう!

当時のITエンジニアの年収のお話
そんな30年前のITエンジニアの平均年収、ちょっと気になりませんか?
当時のITエンジニアの平均年収は約460万円程度だったと考えられています。
そして、現代のITエンジニアの年収は、一般的に約458万円~462万円と程度といわれていますので、今とほとんど変わらない年収額に危機感を覚える方も多いはず。
現代のITエンジニアは、日本の平均年収より高い水準ですが、エンジニアの世界には、年収1,000万円超えのポジションもゴロゴロ。
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