【マウスを発明した男】タグ・エンゲルバートが追い続けたコンピューターの未来

記事監修
(株)ライトコード代表取締役 金城直樹
元フリーランスエンジニア。「自分で作ったものを自分で触れないのは物足りない」と考え、BtoC向けのWebアプリ・モバイルアプリ開発を専門とした(株)ライトコードを2011年に創業。
「好きを仕事にするエンジニア集団」を掲げ、現在、50人以上のエンジニアを束ねる。会社経営の傍ら、今だに第一線で活躍するエンジニアでもある。開発のことなら何でもござれな「何でも屋」。趣味は釣り。

本記事でわかること

➀すべてのデモの母:1968年、これらすべての技術をたった90分で実演した伝説のプレゼンテーション。現代のIT技術の方向性を決定づけた。

➁現代PCの父:ダグラス・エンゲルバートは、マウス、マルチウィンドウ、ハイパーテキスト、ビデオ会議などの基礎を築いたアメリカの技術者。

➂特許の悲劇:マウスを発明したが、本格的に普及した1980年代後半には特許が失効しており、彼自身はロイヤリティを一切受け取っていない。

➃早すぎた思想:彼の目的は「集団的知性の向上」。当時の個人向けPCブームとは合わず不遇の時代を過ごしたが、インターネットやクラウドが普及した90年代以降に再評価された。

➄現代への影響:彼の思想は、現代のクラウド連携や生成AIという形でついに花開いている。


編集長編集長
そろそろ新しいパソコン買わなきゃ…
にゃん八にゃん八
どんなパソコンが希望なんだ?
編集長編集長
そうね、ディスプレイがあって、キーボードがあって、そうそうマウスもあって…
にゃん八にゃん八
普通のパソコンだな!
編集長編集長
だから悩むのですよ。そういえば、パソコンって昔からこの形よね?
にゃん八にゃん八
試行錯誤されてこの形に落ち着いたぞ。たくさんの画期的な技術が集結してできたものがパソコンだからな!昔は、マウスですら画期的なものであった
編集長編集長
今となっては、マウスすら少し古臭さを感じるよね
にゃん八にゃん八
そんなこと言うもんじゃない!そのマウスを作ったダグラス・エンゲルバートの苦労を教えてあげよう!
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目次

コンピュータの未来像「Memex」との出会い

ダグラス・エンゲルバートは、1925年アメリカ・オレゴン州生まれました。

父親を10歳で亡くすものの、姉弟と仲良く育ち、1942年にオレゴン州立大学へ入学。

しかし、第二次世界大戦が勃発し、アメリカ海軍に徴兵されることになってしまいました。

戦争では海軍のレーダー技師としてフィリピンに赴任していた彼に、雷に打たれるような衝撃を与えたのが、ヴァネヴァー・ブッシュの論文『As We May Think(我々が思考するように)』でした。

この論文で提唱された「Memex(メメックス)」という概念は、膨大な本や記録をマイクロフィルムに保存し、机に組み込まれたスクリーンに呼び出し、情報の間にリンクを作れるという、当時としてはSFのようなシステムでした。

そう、このMemexこそが、現在のインターネットやハイパーテキストの原型だったのです!

【💡 Expert’s View|監修者の視点】
現在、私たちがWebブラウザで青い文字のリンクをクリックして別ページに飛ぶ仕組みが「ハイパーテキスト」。エンジニアが日々の実装で使うタグの概念は、なんとコンピュータが部屋ほどの大きさだったこの時代に、すでに頭脳の中で描かれていたのです!技術的土台がゼロの状態でこのアーキテクチャを妄想できるのは、狂気にも近い天才性ですね

ハイパーテキストの父の記事はこちら!

編集長編集長
第二次世界大戦中のフィリピンで、人生を変える論文に出会うって、なんだか映画みたいね!でも、戦地の最前線でどうやってそんな学術的な論文を読んだの?
にゃん八にゃん八
実はな、フィリピンのレイテ島にあった「高床式の竹小屋の図書室」で偶然、ライフ誌に再録されていた記事を見つけたんだ
編集長編集長
熱帯のジャングルの竹小屋でインターネットの原点に触れるなんて…!でもその「Memex」って、当時の技術で想定してたんですか?
にゃん八にゃん八
そこが一番面白いところなんだが、ブッシュが構想したMemexは「デジタルコンピュータ」ではないのだ。なんと、マイクロフィルムと光電管、物理的な歯車やモーターを組み合わせた「超高度なアナログ機械」として想定されていたんだ
編集長編集長
アナログ!?
にゃん八にゃん八
そうだ。エンゲルバートの天才的なところは、「自分がレーダー技師として毎日見ているブラウン管(CRT)と、進化しつつあるデジタル計算機を組み合わせれば、このMemexがもっと凄い形で実現できるぞ!」と脳内で変換し、閃いたことだったんだ!

パンチカード時代に「画面との対話」を夢見た異端児

Memexに衝撃を受けたエンゲルバートは、1950年代、デジタルコンピュータ「CALDIC」の構築に参加します。

しかし、当時のコンピュータは計算結果をパンチカードで読み込ませ、紙に印字して出力するだけの巨大な電卓

エンゲルバートは「ブラウン管(CRT)ディスプレイを使って、人間とコンピュータがリアルタイムに対話すべきだ!」と主張しましたが、周囲の研究者からは「そんな無駄なことに貴重なマシンの計算資源を使うな」と冷笑されました。

エンゲルバートは、完全に時代を先回りしすぎていたのです。

理解されないまま大学を去ったエンゲルバートは、スタンフォード研究所に移籍します。

そして1962年、MITのアイバン・サザランドが開発した描画ソフト「Sketchpad(スケッチパッド)」に出会いました。

「これこそがMemexへの第一歩だ!」

ライトペンを使って画面上に直接図形を描き、移動やコピーができるこのシステムを見て、エンゲルバートは確信したのでした!

【💡 Expert’s View|監修者の視点
冷笑された場面ですが、これ、現代のIT現場でも全く同じことが起きますよね。レガシーなシステムが蔓延る現場で、「生成AIや最新のモダンフレームワークを導入して自動化しましょう!」と提案しても、「今のままで動いてるから不要」「前例がない」と一蹴されるあの絶望感。エンゲルバートが感じた未来が見えているのに誰にも理解されない孤独は、エンジニアなら痛いほど共感できるはずですね

編集長編集長
画面に直接ペンで図形を描いて動かすって、今のiPadや液晶タブレットそのものじゃないですか!1960年代初頭にそんなことができていたなんて驚きです
にゃん八にゃん八
アイバン・サザランドの「Sketchpad」は、現代のCADやコンピュータ・グラフィックス(CG)の直接の先祖と言える画期的な発明だったからな!
編集長編集長
エンゲルバートさん以外にも、とんでもない天才がいたんですね
にゃん八にゃん八
驚くのはまだ早いぞ。サザランドがこのシステムを開発したのは、なんと彼がまだ20代の大学院生の時だったのだ…!しかも、このSketchpadの「図形を部品として定義し、それをコピーして配置する」という内部構造は、のちにソフトウェア開発の常識となる「オブジェクト指向プログラミング」の概念に多大な影響を与えたと言われているぞ!
編集長編集長
ひえー!一つの発明がそこまで後のIT業界全体に繋がっていくんだ~
にゃん八にゃん八
孤立していたエンゲルバートの心に火をつけたのも、また別の若き天才のひらめきだったわけだ。歴史を動かすのは、いつの時代もこうした「天才同士の化学反応」なんだ!

GUIの夜明けと「マウス」の誕生

興奮冷めやらぬエンゲルバートは、ARPA(国防高等研究計画局)に「人類の知性の増強(Augmenting Human Intellect)」という壮大なレポートを提出し、資金を獲得!

自身の研究所「ARC」を設立し、伝説的なシステムである「NLS (oN-Line System)」の開発に取り掛かりました。

画面上のポインタを直感的に動かすため、積分器のアイデアを応用し、エンジニアのビル・イングリッシュに設計を依頼。

木箱の底に縦横の動きを検知する2つの車輪がついた最初のマウスが誕生しました!

名前の由来当初のケーブルは「手首側」から伸びており、その姿がネズミの尻尾に見えたため、いつしか「マウス」と呼ばれるように。
特許名申請時の正式名称は「表示システムのためのX-Y位置指示器」。
特徴初代マウスは「木製の箱」で、底面にX軸とY軸を測る2つの金属車輪がついていた。 マウス(右手)と同時に使うための「5つのキーしかないコード・キーボード(左手用)」も発明していた。ショートカットキーのように和音(コード)の組み合わせで文字やコマンドを超高速入力する仕組み。

ロイヤリティの悲劇

エンゲルバートは、1970年にマウスの特許を取得しました。

その頃は、まだ個人がパソコンを持つという概念すらない時代でした。

そして、1980年後半、AppleやMicrosoftによって、やっとでマウスが世界的に普及します。

しかし…

なんと、時代が追いついた頃には特許が失効していたのです…

【💡 Expert’s View|監修者の視点
自分が心血を注いで書いたコードやシステムが、会社やクライアントの権利となり、大ヒットしても自分の給料は1円も上がらない…。エンジニアが抱える「権利のジレンマ」の、究極の形がここにあります。彼が富を独占せず、技術が世界に羽ばたいたからこそ今の発展があるとはいえ、同じ技術者としてはやり切れない感情を抱かずにはいられませんね

編集長編集長
ええ…!!特許切れちゃったの!?
にゃん八にゃん八
もっと時代が追い付くのが早ければ、莫大なロイヤリティを受け取れるはずだったが…
編集長編集長
悲劇すぎる…
にゃん八にゃん八
マウスが世界中に普及し始めたのは、20年くらい先だったからな…
編集長編集長
ああ…。なんだか、テスラを思い出すわね…

IT史上最も偉大な90分「すべてのデモの母」

1968年12月9日。

サンフランシスコで開催された計算機協会(ACM)の会議で、エンゲルバートはITの歴史を根本から変えるデモンストレーションを行いました。

後に「すべてのデモの母(The Mother of All Demos)」と呼ばれるこの90分間。

1968年の技術力で行われたこのデモは、奇跡としか言いようがありませんでした。

  • マウスによる直感的なカーソル操作
  • マルチウィンドウの展開
  • ハイパーテキストによるファイルジャンプ
  • ワードプロセッサ機能(コピペや編集)
  • ビデオ会議システム(約50km離れた研究所とのリアルタイム共同編集!)

スクリーンには彼の手元と顔が映し出され、メンローパークの研究所とビデオ回線で繋ぎ、離れた場所にいる人間と同じ画面のテキストを共同編集してみせたのです。

会場は水を打ったように静まり返り、終了と同時にスタンディングオベーションが巻き起こりました。

この衝撃的なデモンストレーションは、現在まで語り継がれています。

ARPANETと受け継がれるDNA

発表された技術(1968年当時)現在の何にあたるか?
マウスとGUIWindowsやMacの操作の基本
ハイパーテキストWebブラウザのリンク機能
マルチウィンドウ複数アプリの同時表示
ビデオ会議システムZoomやGoogle Meet
リアルタイム共同編集GoogleドキュメントやNotion
アウトライン・プロセッシング階層化されたテキストエディタ

「パーソナルコンピュータの父」と呼ばれるアラン・ケイも、そのデモを会場でみていた一人でした。

アラン・ケイはこの衝撃を胸に、ゼロックスのパロアルト研究所でGUIを備えた名機「Alto」を開発。

さらにそのAltoを見たスティーブ・ジョブズビル・ゲイツが、現代のMacやWindowsへとそのDNAを繋いでいきました!

そして、1969年10月29日には、エンゲルバートの研究所はインターネットの起源である「ARPANET」の最初のノードの一つとなりました。

UCLAから送られた世界初のメッセージは「LOGIN」でしたが、最初の「LO」を送った時点でシステムがクラッシュしたというエピソードは、エンジニア界隈では初めてのバグとして愛されています。

【💡 Expert’s View|監修者の視点】
その翌年のARPANETでの「LOGIN」実験で、最初の「LO」を送った瞬間にシステムがクラッシュしたというエピソードは、現役エンジニアにとって非常に親近感が湧く出来事です。「本番に限って落ちる」というエンジニアの宿命は、インターネットの歴史の最初の1ページ目から全く変わっていないのです。しかし、その「LO」の失敗があったからこそ、バグを修正し、現在の強靭なインターネットインフラへと進化を遂げることができました。失敗を恐れず本番環境でシステムを動かした彼らの勇気こそが、私たちエンジニアが受け継ぐべき最大のDNAだと言えますね

「lo」でクラッシュしたエピソードはこちら

編集長編集長
1968年にZoomやGoogleドキュメントみたいなことをやってたなんて、完全にオーパーツ…。でも、当時の技術で、どうやって50kmも離れた研究所とリアルタイムでビデオ通話を繋いだんですか?
にゃん八にゃん八
いい着眼点だな!実は当時の電話回線では映像のデータを送るには細すぎたんじゃ。そこでどうしたと思う?
編集長編集長
まさか専用の線を50km引っ張った…とか?
にゃん八にゃん八
近い!研究所の屋上に自家製の「マイクロ波アンテナ」を設置し、会場近くの山の上に向けて映像の電波を直接飛ばしたんじゃ。そして、そこから会場までは借りてきたトラックを使って専用のケーブルを引いたらしい
編集長編集長
「未来」を見せるためには、裏側での途方もない泥臭い努力があったんだ…
にゃん八にゃん八
いつの世の中でも「技術」というものは泥臭さがつきものなんだよ。でもな…、一見、順風満帆そうに見えるエンゲルバートの栄光は長くは続かなかったのだ
編集長編集長
えっ!?あんなにすごいデモをしたのに?
にゃん八にゃん八
時代が追いつけなかったのだ。そして何より、エンゲルバートが目指した未来と、世の中のトレンドがズレてしまったんだな

栄光からの転落と孤独

エンゲルバートの信念は「コンピュータは人間同士が協力し、集団的知性(Collective Intelligence)を高めるための道具である」というものでした。

つまり、現代のGoogle WorkspaceやSlack、Notionのような「クラウドでの情報共有と共同作業」を50年前に構想していたのです。

しかし、1970〜80年代は、個人が一人で所有し楽しむ「パーソナルコンピュータ」の時代が到来。

エンゲルバートの目指した「集団的知性」という理想が、1970年代以降の「コンピュータを個人が所有する」というトレンドと真っ向から対立してしまったのです。

個人が所有する世の中に共感し、同時にコンピュータの使いやすさも追求したい研究者たちは、彼のもとを去りXerox PARCなどへ移籍してしまいました…

ついには、資金も打ち切られ、研究所は買収され、エンゲルバートは失望のなかで1986年に退社。

エンゲルバートの「共有」という概念は時代の潮流から取り残されてしまいました…

【💡 Expert’s View|監修者の視点
現在、私たちは「GitHub」で世界中の開発者とソースコードを共有・管理し、「Figma」を使ってブラウザ上でデザイナーと同時にUIを編集し、「Slack」や「Notion」でリアルタイムにチームのナレッジを蓄積しています。もはやIT業界において完全に一人で完結する仕事は存在しないと言っても過言ではありません。1970年代には「複雑すぎる」「個人の使い勝手が優先だ」と切り捨てられてしまった彼のビジョンですが、インターネットとクラウド技術が成熟した現在、まさに彼が夢見た「人類が協力して課題を解決するためのインフラ」が私たちの日常になっています。

編集長編集長
「個人の使いやすさ」を求めて離れたってことは、エンゲルバートさんのシステムはそんなに難しいものだったの?
にゃん八にゃん八
エンゲルバートは「自転車に乗るのと同じで、最初は難しくても、訓練すれば爆速で操作できるシステム」が理想だった。当時、デモで実演した基本スタイルは、右手に「3ボタンのマウス」、そして左手に「5つの鍵盤」というものだった
編集長編集長
左手に5つの鍵盤!?それ、完全に現代のプロゲーマーが使ってる「左手用デバイス」じゃないですか(笑)
にゃん八にゃん八
そうだな(笑)マウスでカーソルを動かしながら、左手の5つのキーで複雑なコマンドを次々と入力していくんだ。極めれば効率的かもしれないが、素人には直感的とは言い難かった
編集長編集長
なるほど…それは世の中に浸透しないかも。
にゃん八にゃん八
だから、彼のもとを去ったXerox PARCの研究者たちは「もっと誰でも直感的に使えるべきだ」と、マウスのボタンを減らし、画面上のアイコンをクリックする今の「GUI」の形へと洗練させていったのだ
編集長編集長
エンゲルバートは「人間の限界を引き上げるプロ用ツール」を目指しすぎたゆえに、大衆向けのPCブームから外れてしまったのか…

遅れてきた賞賛と「人類の知性の増強」

失意の底にあったエンゲルバートですが、1990年代に入り、インターネット(WWW)が普及すると、世界は再びエンゲルバートの偉大さに気づきます。

「リンクで文書が繋がる、世界中とネットワークで情報を共有する」

すべてが、エンゲルバートが1960年代に予言し、実装していたものでした。

エンゲルバートが1968年に見せた夢を、我々は今ようやく実現していたのだ、と世界は気づきました。

再評価されたエンゲルバートは、チューリング賞(1997年)アメリカ国家技術賞(2000年)IEEE 人工知能の殿堂入り(2011年)など、コンピュータ界のあらゆる栄誉を手にしました。

そして2013年7月、88歳でこの世を去るまで、彼は「コンピュータが人間の知性をいかに向上させるか」を考え続けていました。

50年以上前に今の世界を妄想し、形にしてくれた孤独な天才

エンゲルバートの究極の目的は、自身の論文のタイトルにもある「Augmenting Human Intellect(人類の知性の増強)」。

この哲学は、AIが爆発的に進化し、Apple Vision Proのような空間コンピューティングが生まれようとしている現代において、かつてないほど重要性を増しています。

「マウス」はいつか消えゆく存在かもしれませんが、「テクノロジーで人間の可能性を拡張する」というエンジニアの根源的な使命は、エンゲルバートから私たちへと、確かに受け継がれているのです。

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エンゲルバートから私たちへと、確かに受け継がれているDNA。

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カトウカトウ
ちょ、ちょっと待ってください!
一般的なエージェントのマージンが25%ってことは…
もし私が月単価80万円の案件をこなしても、毎月20万円も手数料で引かれてるってことですか!?
にゃん八にゃん八
ふふふ…それも本人には知らせずにな…
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カトウカトウ
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にゃん八にゃん八
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