記事を3行で解説
➀「人工知能(AI)の父」の一人、マービン・ミンスキー博士の生涯と功績を紹介。
➁世界初の学習AI「SNARC」開発や、AI研究の停滞期「AI冬の時代」を招いた『パーセプトロン』出版など、AI史に大きな影響を与えた。
➂「心は単純な機能(エージェント)の集合体」とする『心の社会』理論は、現代のAI開発にもインスピレーションを与え続けている。
人工知能の父はだれ!?
・マービン・ミンスキー
・ジョン・マッカーシー
・アレン・ニューウェル
・ハーバート・サイモン
AI界のレジェンド「マービン・ミンスキー」とは何者?

コンピュータの歴史には「○○の父」と呼ばれる偉人がたくさんいますが、今回ご紹介する人物は今熱いAI分野。
彼はアメリカのコンピュータ科学者であり、認知科学者。
一般的に「人工知能(AI)の父」の一人として、その名を歴史に刻んでいます。
天才のルーツは「自動ピアノ」と「無駄な箱」!?
マービン・リー・ミンスキーは1927年、ニューヨークのユダヤ人家庭に生まれます。
お父さんは医者、お母さんは活動家というインテリ一家でした。
そして、ミンスキーは幼いころから、創意工夫が好きな子供で、一番のお気に入りだったおもちゃは、「自動ピアノ」でした。
あの、勝手に鍵盤が動くやつですか?
ミンスキーは、穴の空いたロール紙が「情報」となり、それが「物理的な動き(演奏)」に変わる仕組みに魅了された
兵役の後、アカデミックの道へ

ミンスキーは、マサチューセッツ州にある一流進学校「フィリップス・アカデミー」で学んだ後、第二次大戦に従軍しました。
およそ2年の兵役の後、ミンスキーはさっそく、念願だったアカデミックの道へ足を踏み入れます。
まずは「ハーバード大学」、そして「プリンストン大学」で数学を研究。
1958年からはマサチューセッツ工科大学に籍を置き、世界初の本格的なAI研究機関「MIT人工知能研究所(AIラボ)」を設立します。
共同設立者として、同じく人工知能研究の権威である「ジョン・マッカーシー」がいました!
た「無駄な機械(Useless Machine)」でおじゃる
…ただそれだけの機械じゃ。
意味ねえな!
「意味とは何か?」「目的とは何か?」を問いかける、哲学的ジョークじゃな。
ミンスキーはこういう遊び心満載の「ハッカー精神」の持ち主でもあったんじゃ
人工知能に至る思考プロセスの歴史

ここでプチブレイク。
ところで、人工知能という発想は、ミンスキーが初めて思いついたものではありません。
実は、「機械に知性を持たせる」という発想自体は、古代から存在していたのです。
それでは、人類はどのような思考プロセスを経て、「人工知能」に思い至ったのでしょうか?
道具=体の能力を補ってくれるもの
人間を他の生き物と区別する要素として、「道具を使う」という行為がよく挙げられます。
人間にとって、「道具」とは「自己の身体機能を補ってくれるもの」でした。
たとえば、足の速い獲物に負けない「弓」や「槍」、固い土を砕く「鋤(すき)」や「鍬(くわ)」などです。
道具=人間に代わって作業をしてくれるもの
産業革命以降になると、今度は「人間の手作業を、道具に任せられないか」という考えに至ります。
イギリスの機織り機を皮切りに、「人間よりも正確な作業」を”休みなし”で出来る機械が、次々と発明されていきました。
こうして、機械は、人間に代わって肉体労働を行うようになります。
道具=知的作業は可能なのか?
機械のおかげで、人間は、以前よりもはるかに便利な生活を享受できるようになりました。
ここで、機械に新たな可能性を見出す潮流が生まれます。
そう、「機械に知的作業は可能なのか?」ということです。
機織り機は確かに便利ですが、人間の「手」の代わりに作業をこなすだけです。
デザインや色を考え、機械に命令を出すのは人間です。
「手」が再現できるのならば、人間の「頭脳」も再現できるのではないか?
この考えが、後の「人工知能」に結びついていったのです。
ミンスキーの功績は山ほどあるが、AIの歴史を語る上で絶対に外せない「ヤバい」功績を3つ紹介しよう
功績1:世界初の「学習するAI」を作っちゃった (1951年)

「人間の頭脳を再現する」にあたり、研究者が注目したのは「ニューロン」です。
脳内の神経細胞「ニューロン」は、ほぼ自動的に組織化されています。
これを「脳内リレー」と見なし、アルゴリズムとしてプログラム化すれば、機械に知性を与えることが出来るというわけです。
1943年、ウォルター・ピッツとウォーレン・マカロックが、モデル化した人工ニューロンのネットワークを分析した「A Logical Calculus of the Ideas Immanent in Nervous Activity」を発表します。
これが、ニューラルネットワーク研究の先駆けです。
当時24歳の学生だったミンスキーは、この論文に大いに感銘を受けました。
世界初のニューラルネットワーク学習マシン「SNARC」
それから8年後の1951年、ミンスキーは、ニューラルネットワークを利用した学習マシン「SNARC」を開発。
SNARCは、「Stochastic Neural Analog Reinforcement Calculator(確率的ニューラルアナログ強化学習計算機)」の略。
人間の脳の神経細胞(ニューロン)が電気信号で繋がっている仕組みを、電子回路でマネしたもので、これが、世界初の「自己学習人工知能」です。
このマシンは、仮想の「迷路」を解くネズミをシミュレートし、失敗から学んで(強化学習)、だんだん賢くなっていく能力を持っていました。
人間並みに賢い機械
1960年、ミンスキーは、「人工知能の実現可能性について」の論文を書いています。
コンピュータは、人間の命令を忠実に実行する。
ある問題の解決法が見つからない時、人間は解決法を探すよう、プログラムでコンピュータに命じることが出来る。
しかし、下手なプログラムでは、コンピュータに無駄な時間を使わせるだけだ。
だが、パターン認識法を取り入れれば、コンピュータはずっと効率よく仕事をこなせる。
コンピュータは頭が良いからね。以前の仕事を思い出して、効率的に仕事をこなそうとする。
そう、プランニングだよ。
この方法によってコンピュータは、改良を重ねていくんだ
これは、ミンスキーの人工知能に対する考え方を最もよく表しており、コンピュータを「命令を忠実に実行する」だけではなく、その限界を超えるものになると予想していたのです。
そんな時代に「学習するAI」が…!?
ミンスキーは「人間の頭脳も、膨大な数のニューロンが繋がった機械にすぎない」という視点で、脳の再現に挑んだんじゃ
特に有名なのが、SF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』(1968年)でおじゃる
功績2:『パーセプトロン』と「AI冬の時代」 (1969年)

当時、AI研究には2つの大きな流れがありました。
- ミンスキーのAI:論理や記号を使って、人間の「推論」のプロセスを再現しようとする流れ
- ローゼンブラットのAI:脳の神経回路(ニューラルネットワーク)を重視する流れ
ミンスキー博士は、同僚のシーモア・パパートと共に、ニューラルネットワークの限界を数学的に証明した本『パーセプトロン』を出版します。
この本は「パーセプトロンには、単純なXOR問題すら解けない」という致命的な欠陥を暴きました。
この批判があまりにも強烈すぎたため、世界中の研究機関や政府は「なんだ、ニューラルネットワークって無意味じゃん」と判断。
関連する研究予算がバッタリと途絶えてしまいました。
良かれと思って書いた本が、逆にAIの進化を止めちゃったんですか…
彼は「人工知能の父」でありながら、一度「AIの歴史を(意図せず)ストップさせた男」でもあるんじゃ。
しかし、このおかげでAI研究は別の方向に進化したんじゃ
功績3:天才の頭の中を理論化!「心の社会」

彼の最大の功績として、多くの研究者が挙げるのが、1986年に出版された著書『心の社会(The Society of Mind)』です。
「人間の心や知性とは何か?」という究極の問いに、ミンスキーが叩き出した答えです。
彼は「心は、一つの賢い『何か』ではない」と言った。
そうではなく、「たくさんの“単純な機能”しか持たない『エージェント(代理人)』たちが、集まって(社会)、ワイワイガヤガヤやってる状態」こそが「心」だ、と。
例えば、「リンゴを手に取る」という単純な動作にも、
- 「手を伸ばす」エージェント
- 「モノを掴む」エージェント
- 「バランスを取る」エージェント
- 「形を認識する」エージェント
…といった無数の「アホな」エージェントが連携して働いている。
そして「意識」とか「自己」というのは、そのエージェントたちの「社長」や「管理人」のようなものだ、と考えたのです。
人間社会も同じともいえるから、脳は興味深いな
あの「無駄な機械」を作った遊び心といい、物事の本質を全く違う角度から見抜く力こそが、ミンスキーの真骨頂じゃ
ミンスキーのように、好奇心を持ちなさい!
人工知能研究に生涯を捧げたミンスキー

以下は、1981年にある雑誌が、ミンスキーにインタビューしたものです。
「なぜ人工知能の研究を選んだのか」という問いに、ミンスキーはこう答えました。
実を言うと、遺伝学や物理学にも興味を持ったんだ。
当時、遺伝の仕組みは、まだよくわかっていなかったからね。
だが、私が追い求めるような奥深さは、そこにはなかった。
物理学もいいとは思ったが、人工知能の問題はなかなか難しそうだった。
そこが良かったのさ。
結局私は、人工知能以外の分野にそこまで深入りすることは無かったね
2016年1月24日、ミンスキーは脳出血により、88歳でこの世を去りました。
彼は生涯を「知性とは何か?」という最も難解な問いに捧げました。
彼が蒔いた「遊び心」と「探究心」の種は、今や巨大な花を咲かせ、我々の生きるこの世界を、根底から変えようとしています。
人工知能研究に偉大な貢献をしたミンスキー。
多くの研究者たちが彼の遺志を継ぎ、現代のAI開発を盛り上げています。
平均収入は約765万円 !
マービン・ミンスキーのような天才が今のITの可能性を引き上げ、今や、ITエンジニアは不可欠な存在となりました。
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さらに人工知能の分野は、1500万円、2000万円と、さらに上も狙えるのが魅力。
現在、会社員エンジニアの方も、フリーランスになることで高収入を目指せる可能性が高い世界なのです。
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ITANKENのポイントはこの5つ。
①マージンが最大10万円で業界最安値水準(記事)
②支払いサイトは15日で業界トップクラス(記事)
③公平性と透明性を重視したお取引(記事)
④エージェントは人柄を重視(記事)
⑤開発責任者は元フリーランス(記事)
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