Webブラウザの歴史➀Webの誕生~ブラウザ戦争勃発~第一次ブラウザ戦争

記事監修
(株)ライトコード代表取締役 金城直樹
元フリーランスエンジニア。「自分で作ったものを自分で触れないのは物足りない」と考え、BtoC向けのWebアプリ・モバイルアプリ開発を専門とした(株)ライトコードを2011年に創業。
「好きを仕事にするエンジニア集団」を掲げ、現在、50人以上のエンジニアを束ねる。会社経営の傍ら、今だに第一線で活躍するエンジニアでもある。開発のことなら何でもござれな「何でも屋」。趣味は釣り。

記事を3行で解説

➀Webブラウザの歴史は、インターネットの「窓口」を巡る覇権争いの歴史である。

➁初期の王者「Netscape」に対し、Microsoftが「IE」をOSに標準搭載する戦略で圧勝し、市場を独占した。

➂IEの独占はWebの進化を停滞させる「暗黒時代」を招いたが、敗れたNetscapeの遺産から反撃の狼煙が上がった。

対象:フリーランスエンジニア以外にも読んで欲しい記事


WEBブラウザは何を使ってる?

戦士戦士
Webサイトを見る時、師匠はどのブラウザ使ってます?
スライム師匠スライム師匠
ワシは、Chrome じゃな
戦士戦士
そもそもブラウザって、なんでいくつもあるの?
EdgeとかSafariとかBraveとか…
昔はIE や Netscapeなんてのもありましたよね
スライム師匠スライム師匠
ほほ~、気になるんか?
それはな、インターネットの「窓口」を誰が握るかという、壮大な戦争の歴史そのものなんじゃよ
戦士戦士
せ、戦争!?
スライム師匠スライム師匠
いい機会だし、Webブラウザの知られざる覇権争いの歴史を、最初から徹底的に振り返ってみるかの~!

何気なく使っているインターネット。

私達がスマホやPCで色々なWebサイトを見られるのは、「Webブラウザ」というソフトウェアのおかげです。

普段、特に意識しないWebブラウザですが、その裏側では、企業の存亡をかけた技術開発と、市場シェアを奪い合う激しい戦争が繰り広げられてきました。

ちなみに、「ブラウザ」とは、英語の「立ち読みする、拾い読みする」が語源。

WebサーバーにあるHTMLファイルや画像、動画などのデータを「拾い読み」して、私達が見やすい形に組み立て直してくれる、まさにインターネットの翻訳機のような存在です!

では、その知られざる「ブラウザ戦争の歴史」を黎明期から現代まで徹底的に見ていきましょう!

目次

第1章:黎明期 – Webの誕生 (1990-1993)

Webブラウザの歴史は、Webそのものの歴史から始まります。

最初のブラウザ:『WorldWideWeb』

1990年、欧州原子核研究機構(CERN)のティム・バーナーズ=リーによって、世界で初めてのWebブラウザが開発されました。

その名は『WorldWideWeb』。(のちに Nexus と改名)。

「世界中に張り巡らされた蜘蛛の巣(Web)」という、Webの仕組みそのものを表す名前が付けられました。

ただし、このブラウザはテキストの表示とリンクが中心で、画像を表示することはできませんでした。

ティム・バーナーズ=リーの記事はこちら

革命児『Mosaic』の登場

Webの歴史が動いたのは1993年。

米国立スーパーコンピュータ応用研究所(NCSA)の学生、マーク・アンドリーセンらが『Mosaic(モザイク)』を開発します。

それまで無機質な画面が、グラフィカルで直感的なものへと変貌!

Mosaicは、Webの技術と共に無償で公開されたため、世界中に爆発的に普及。

これが、インターネットが一般に広まる「起爆剤」となりました。

戦士戦士
「Mosaic(モザイク)」が出た当時はどんな感じだったんですか?
スライム師匠スライム師匠
当時のWebは基本的に「文字の世界」じゃったから革命的じゃった
戦士戦士
画像がなければネットは面白くないもんね
スライム師匠スライム師匠
もちろん画像を表示する試みはあったが、せいぜい「ここをクリックすると、別のウィンドウが開いて画像が表示される」という程度。
そこに、1993年に登場したのが『Mosaic』じゃ。
聖徳聖徳
テキストと画像を、初めて同じウィンドウ内に混在して表示させたことが革命だったのである~
戦士戦士
えっ!?
たったそれだけ…?
スライム師匠スライム師匠
その「当たり前」をゼロから作ったのがスゴイんじゃ!
想像してみるんじゃ。
それまで文字だらけだった無味乾燥な画面に、初めて画像が組み合わされた時の人々の衝撃を
戦士戦士
文章の中に写真が差し込まれ、見出しがあり、レイアウトが生まれた…!💡
スライム師匠スライム師匠
これにより、Webは「研究者の論文」から、「一般人向けのグラフィカルなメディア」へと変貌を遂げ、人々は熱狂したのじゃ!

第2章:巨人の目覚め – Netscapeの黄金時代 (1994-1996)

Mosaicを開発したマーク・アンドリーセンは大学卒業後、1994年にモザイクコミュニケーションズ社(後のネットスケープコミュニケーションズ社)を設立します。

『Netscape Navigator』の覇権

マーク・アンドリーセンは、Mosaicをさらに強力にした後継ソフトを開発します。

当初のコードネームは「Mozilla(モジラ)」。

Mosaicを超えるゴジラの様な怪物(Mosaic Killa → Godzilla)という意味が込められていました。

そして1994年、製品版『Netscape Navigator(ネットスケープナビゲータ)』が登場。

Netscape Navigatorは、Mosaic の欠点をすべて克服した、当時としては完璧に近いブラウザだったからです。

MosaicがWebを「ビジュアル化」した革命児だとすれば、NetscapeはWebを「実用化」した革命児でした!

Netscapeが覇権を握った理由➀革命的な表示速度

当時のインターネット回線は、今とは比べ物にならないほど遅い「ダイアルアップ接続」が主流でした。

当時のブラウザは、ページにある画像やテキストを全部読み込み終わるまで、画面は真っ白

ユーザーは真っ白な画面を数十秒、時には数分も見つめ続ける必要があったのです。

一方、Netscapeは、 ページを読み込みながら、徐々に表示していったのです。

プログレッシブ表示というもので、テキストが先に表示され、画像が上から順にじわじわ表示されていくものでした。

戦士戦士
あー!
ネット環境が悪いとジワジワ表示されるやつな感じか!
スライム師匠スライム師匠
そうじゃ!
当時はそれが当たり前で、全部待つより、読める所から読める方が圧倒的に快適じゃった。
この「体感速度の速さ」で他のブラウザを完全に置き去りにしたんじゃ!

Netscapeが覇権を握った理由②「Webページをデザインする」機能の追加

Mosaicは「画像とテキストを一緒に表示」はできたが、それだけでした。

Netscapeは、Web制作者が「ページをカッコよく見せたい」という欲求に応える機能を、いち早く独自に搭載したのです!

  • <center>タグ: 文字や画像を中央揃えにする。
  • <font>タグ: 文字の色や大きさを変える。
  • 背景画像: ページの背景に好きな画像を指定する。
スライム師匠スライム師匠
今となっては古い技術じゃが、当時は「Netscapeで見ると、こんなにカッコイイページが作れる!」と、Web制作者たちがこぞって独自機能を使ったんじゃ
戦士戦士
制作者を味方につけたわけですね!

Netscapeが覇権を握った理由➂圧倒的な安定性と使いやすさ

Mosaicは元々、研究機関である NCSA の学生たちが作ったもので、不安定でよくクラッシュ(強制終了)していました。

Netscapeは、そのMosaicを作ったマーク・アンドリーセン本人が、シリコンバレーの優秀なエンジニアたちと商業製品としてゼロから作り直したものです。

そのため、 Mosaicに比べて格段に安定しており、クラッシュしにくい特徴がありました。

また、ボタンの配置なども洗練されていて、一般ユーザーにも使いやすかったのでした。

Netscapeが覇権を握った理由④巧みな「配布戦略」

技術力だけでなく、広め方も秀逸でした。

当時には珍しいクロスプラットフォームで「Windows版」「Mac版」「UNIX版」を同時に、素早く提供しました。

どんなPCを使っていても「とりあえずNetscape」という状況を作りました。

また、現代ではよくありますが「機能制限無料版を提供して、気に入ったら制限無しの有料買ってね」のような戦略をとりました。

使いやすいインターフェースと当時最速の表示速度を誇ったNetscapeは、Mosaicからシェアを奪い、瞬く間に市場を席巻。

一時は市場シェア90%を誇り、「WebブラウザといえばNetscape」という黄金時代を築き上げました。

スライム師匠スライム師匠
まず無料で使い始め、その使いやすさに慣れてしまう…という流れで、爆発的に普及したんじゃ
戦士戦士
完璧な戦略だな!
スライム師匠スライム師匠
「Mosaicより圧倒的に速く、安定していて、カッコいいページが見られて、しかも無料で使える」
オマケに当時は Internet Explorer もまだ弱小で、事実上、競争相手がいなかったんじゃ
戦士戦士
こうしてNetscapeは、Web黎明期の「絶対王者」として君臨できたわけじゃな。
聖徳聖徳
ちなみに、ネットサーフィンという言葉は、Netscapeが流行らせた言葉なのである~
戦士戦士
ネットサーフィンという言葉ができるほど「Web」にハマる人が増えていった時期なんだ~

第3章:第一次ブラウザ戦争 – 巨人 vs 怪物 (1995-2001)

Netscapeの成功を、ある巨人が黙って見ていませんでした。

PCのOS市場を独占していた「巨人」、Microsoft(マイクロソフト)です。

巨人Microsoftの反撃

Microsoftは当初、インターネットの可能性を過小評価していました。

しかし、Netscapeの急速な台頭を見て、「インターネットはWindowsの地位を脅かす存在だ」と強い危機感を抱きます。

1995年、社会現象にもなったOS『Windows 95』を発売。

Microsoftは、NCSAからMosaicのライセンスを取得して開発した自前のブラウザ Internet Explorer (IE) 1.0 を、OS機能拡張ソフト「Microsoft Plus! for Windows 95」にひっそりと同梱します。

ここから、Webの覇権を巡る第一次ブラウザ戦争の火蓋が切られました!

王座奪取を狙うInternet Explorer

このように Internet Explorer と Netscape は、激しいシェア争いを繰り広げます。

両社は数ヶ月おきにバージョンアップを繰り返し、新機能を競い合いました。

この競争の中、Internet Explorer がシェアを奪った戦略は、大きく分けて3つありました。

ステップ➀Internet Explorerの「バンドル戦略」

勝敗を分けた最大の要因、それは…

Microsoftは、自社の圧倒的な製品…そう、『Windows 95』の存在でした。

これに Internet Explorer を無料で標準搭載(バンドル)したのでした。

スライム師匠スライム師匠
PCを買って、Windowsを起動すれば、デスクトップに「e」のアイコンが最初からある。
クリックすればすぐインターネットが使えるのじゃ
戦士戦士
一方で Netscapeは、当時の遅い回線でサイトを探し、ダウンロードし、インストールする必要があるのか
スライム師匠スライム師匠
ユーザーは最も抵抗の少ない道を選ぶ。
MicrosoftはPCの「入り口(OS)」を握っていたから、インターネットの「入り口(ブラウザ)」も同時に握ることができたわけじゃ
聖徳聖徳
これは「抱き合わせ販売」だとして、後に独占禁止法違反で提訴されるほどの強力すぎる戦略だったのである~

ステップ②「なんとか表示する」戦略(開発者の囲い込み)

Netscapeは、W3Cの規格に比較的、厳密で、HTMLの記述が間違っていると、レイアウトが正しく表示されなく、崩れました

一方、Internet Explorer では規格を無視してでも、「制作者の意図を汲み取って、なんとか表示しよう」と補正機能があったのです。

スライム師匠スライム師匠
その結果、一般ユーザーやWeb制作者(特に初心者)の間で、「IEはちゃんと表示してくれる良いブラウザ」「Netscapeは表示が崩れるダメなブラウザ」という、まったく逆の評価が広まってしまったんじゃ
戦士戦士
「IEでは見れるけど、Netscapeでは崩れる」ってやつですね!
スライム師匠スライム師匠
そうじゃ。
当時はまだWeb制作の技術が未熟で、間違ったHTMLを書く人も多かったからのう

ステップ➂Netscape自身の「失速」

その時、Microsoftに攻められるNetscape側にも、大きな問題が起きていました。

当時、アップデートを重ねていた Netscape Navigator 4 は、度重なる機能追加でプログラムのコードがぐちゃぐちゃのスパゲッティコードになっており、動作が不安定になっていました。

Netscapeは「もうこのコードはダメだ!」と改良を諦め、ゼロから新しいブラウザエンジン(後のMozilla Firefoxの原型)を作るという、あまりに壮大な決断をしてしまいます。

しかし、この新エンジンの開発は非常に難航し、数年間、Netscapeはまともな新製品を出せないという「空白期間」が生まれてしまいました…

第一次ブラウザ戦争終結

スライム師匠スライム師匠
その間に、Internet Explorer は 4.0 → 5.0 → 5.5 → 6.0 と、着実にバージョンアップを重ね、どんどん高機能になっていったんじゃ
戦士戦士
その結果、あっという間にシェアを奪われ王座から転落したのか…
スライム師匠スライム師匠
結果、2001年頃にはInternet Explorerのシェアは95%に達し、Netscapeは完敗した
戦士戦士
第一次ブラウザ戦争は、Internet Explorer の圧勝に終わったのか~

第4章:暗黒時代と反撃の狼煙 (2001-2004)

第一次ブラウザ戦争は、Microsoft の Internet Explorer の圧勝で終わりました。

しかし、それはインターネットの進化にとって、皮肉にも「暗黒時代」の幕開けとなってしまったのです。

IE6の独裁 — 止まった時計

競争相手が消え、世界シェア95%以上という絶対的な王座についたIEは、その開発の足をピタリと止めます。

さらに、「OSバンドル戦略」は独占禁止法(反トラスト法)違反であるとして米国司法省に提訴され、Microsoftは敗訴。

2001年、Windows XPと共にリリースされた『Internet Explorer 6 (IE6)』は、その後、5年以上もの間、メジャーバージョンアップが行われないという異常事態に陥りました。

MicrosoftはIE開発チームの多くを解散させたとさえ言われています。

IE6はセキュリティホールがとても多く、ウイルスやスパイウェアの温床となりました。

また、Web標準規格との乖離もひどく、世界中のWeb開発者が「IE6対応」という独自のバグ対策に苦しめられる、まさしく暗黒時代でした。

戦士戦士
ええっ!?
勝った途端に、開発をやめちゃったの!?
スライム師匠スライム師匠
そうじゃ、競争相手がおらんからな。
「Webを見るソフト=IE6」が常識になり、Microsoftにとってそれ以上IEに投資する理由がなくなってしもうた。
これが最悪の事態を招くんじゃ…

開発者の地獄:「IE6対応」という悪夢

この「止まった時計」であるIE6は、世界中のWeb開発者にとって悪夢そのものでした。

世の中では「CSS」を使った美しいデザインや、「AJAX」を使った動的なWebアプリケーション(Web 2.0)といった新しい技術が生まれ始めていたのに、IE6はそれらの標準規格に全く追いついていなかったのです。

独自すぎるCSS解釈
W3Cの標準規格を無視したバグだらけの表示。
特に「ボックスモデル」の解釈の違いは有名で、開発者はIE6のためだけにレイアウト設計を根本から変える必要があったのじゃ…

透過PNG非対応
背景を透明にできるごく基本的な画像形式(透過PNG)すらまともに表示できず、見栄えの悪い灰色の背景が表示されたのじゃ…

ハックと呪文の横行
開発者たちは、IE6でだけ表示を正すための「CSSハック」や「条件分岐コメント」と呼ばれる、バグを利用した裏技のようなコードを書くことを強いられたんじゃ…

世界中のWeb制作費用のうち、かなりの割合が、このIE6のバグを修正するためだけに費やされました。

これは俗に「IE6税 (IE6 Tax)」と呼ばれ、Webの進化を大きく停滞させる足かせとなったのです。

ウイルスの温床

開発者だけでなく、一般ユーザーにとってもIE6は「史上最も危険なブラウザ」でした。

Windowsと深く癒着していたIE6は、「ActiveX」というOSの機能を直接触れる技術を安易に許可していました。

これがセキュリティ上の巨大な脆弱性となり、悪意あるWebサイトを見ただけでウイルスに感染するような事態が多発。

ブラウザハイジャック
気づいたらブラウザのホームページが怪しげなサイトに変えられている。
スパイウェアの巣窟ユーザーの情報を盗み見るソフトが勝手にインストールされる。

IE6は、「ウイルスの温床」と化していたのです…!

戦士戦士
ひえぇ…
開発者にとってもユーザーにとっても地獄…
スライム師匠スライム師匠
誰もがIE6に絶望していた。
じゃが…、第一次戦争で焼け野原になったはずの場所に、小さな芽が残っていたんじゃ

反撃の狼煙:不死鳥『Phoenix』の誕生

舞台は、敗北したNetscape社に戻ります。

Internet Explorerに完敗する直前の1998年、Netscape社は苦肉の策として、自社のブラウザ『Navigator』の設計図(ソースコード)を全世界に公開するという「最後の賭け」に出ました。

これが、オープンソースプロジェクト『Mozilla(モジラ)』の始まりです。

しかし、公開されたNetscapeのコードは古く複雑で、それをもとに作られた「Mozilla Application Suite」は、動作が重く使いにくい全部入りソフトでした。

「これじゃない。私たちが欲しいのは、IEに代わる、高速で安全なブラウザだ」

そう考えたMozillaプロジェクト内部の有志たちが、「ブラウザ機能だけ」を分離し、ゼロから作り直す草の根プロジェクトを立ち上げました!

そのコードネームは、Phoenix(フェニックス)

Netscapeの灰の中から蘇る「不死鳥」という意味が込められていたのです…!

平均収入は約765万円 !

その、Phoenix(フェニックス)から第2次ブラウザ戦争が勃発することになるのですが…

Webブラウザだけをとっても、エンジニアは戦いの毎日で、常に高めあってきました。

技術を追求するその想いが今のITの可能性を引き上げ、今や、ITエンジニアは不可欠な存在となりました。

そして、2025年現在、フリーランスエンジニアの平均年収は全体の平均値は約765万円まで上昇しました。

さらに1000万円を超える人は全体の7.5%もおり、しっかり稼げている人がサラリーマンよりも多い割合です。

さらに人工知能の分野は、1500万円、2000万円と、さらに上も狙えるのが魅力。

現在、会社員エンジニアの方も、フリーランスになることで高収入を目指せる可能性が高い世界なのです。

——でも、フリーランスになるのは不安。しかも、どうやって仕事を獲得すればいいんだ…!?

そんなエンジニアにとって、頼もしいパートナーとなるのが「エージェント」の存在です。

高単価の優良案件をあなたに代わり獲得し、あなたがエンジニアの仕事だけに集中することができるように二人三脚で全力でサポートするのが、エージェントの仕事です。

エージェントの仕事

  • 案件獲得までの営業を完全代行
  • 本業だけに集中できるようにサポート
  • 案件の利益が最大限になるように交渉してくれる

エージェントと契約するということは、あなたの収入を引き上げる契機でもあるのです!

エージェントによって手取りが変わる!?

エージェントを利用することで高単価の仕事が獲得できたとします。

しかし、一般的なエージェントでは、報酬から25%程度のマージン(手数料)を取られてしまうのはご存じですか?

そうです。高年収を目指すにはマージンが低ければ低いほど手元に残るお金は増えますが、この部分はエージェントによりブラックボックスとなっており、あなたに開示されることはほぼありません。

エージェントサービスの手数料は一定ではなく、選ぶ業者によって、あなたの手取りが大きく上下することは、まずは知っておいていただきたい点の1つです。

そんな収入UPを目指す方のために、「マージンが最大10万円」という業界最安水準のエージェントサービスがあります。

この利益還元を重視したエージェントサービスを運営しているのは、現在、15期目のIT企業「ライトコード」。

代表は当時、フリーランスとして大手有名WEBサービスなどで活躍していました。

その中で、自身も不透明なマージンや労働環境に苦しんだ経験がありました。

業者によってマージン率は非公開で、報酬の内訳を公開していないことがほとんど。

未だに旧態依然とした状態が続く業界に一石投じるために、エンジニアへの利益還元と透明性を最優先に考えてスタートしたのが「ITANKEN(IT案件.com)」です!

エンジニアの手取りUPを実現させる5つのお約束

ITANKENのポイントはこの5つ。

①マージンが最大10万円で業界最安値水準記事
②支払いサイトは15日で業界トップクラス記事
③公平性と透明性を重視したお取引記事
④エージェントは人柄を重視記事
⑤開発責任者は元フリーランス記事

仕事内容や単価などでお困りのことがあれば、まずはお気軽にご相談くださいませ!

以下ボタンより、4つの項目に答えるだけの簡単登録(無料)のみでご利用いただけます。

最後まで読んでくれた方へ

現在、お祝い金キャンペーン実施中です!

ITANKENをご利用いただいたフリーランスの皆様への感謝の気持ちとして、案件稼働1ヶ月経過後の初回報酬支払い時に、現金30,000円をプレゼント中!

申請手続きは不要で、対象の方には自動で指定口座に振り込まれます。

ご登録はこちら

人気記事

シェアを待っておるぞ✨
目次