記事を3行で解説
➀プログラミング言語「COBOL」は、米海軍軍人でもあった女性科学者グレース・ホッパーが中心となり開発した。
➁彼女は「バグ」という言葉を広めたことでも知られ、人生のどん底を経験した後、53歳でCOBOLを完成させた。
➂COBOLは今なお世界の基幹システムで広く使われており、彼女の功績はIT社会の礎となっている。
プログラミング言語「COBOL」はおばあちゃん言語?






しかし、COBOLはどちらかというと「おばあちゃん言語」じゃ!




勇者たちは「グレース・ホッパー」を知る旅に出た
女性学者の道を切り拓いたグレース・ホッパー

グレース・ホッパーは1906年、本名は「グレース・ブリュースター・マレー」としてニューヨークで生まれました。
日本では日露戦争が終結した翌年、明治39年にあたります。
グレースは好奇心旺盛な子供で、7歳の頃、家中の時計を分解しようとしたことがありました。
そんなグレースを、母親は叱りつけたりせず、分解してもいい時計をひとつ与えて自由にさせていました。
母親のメアリーも、かつて学問の世界にいながら女性というだけの理由でその道を閉ざされた経験をもっており、娘には自分のやりたいことを自由にやってほしいと考えていたのでした。
女性で初の数学の博士号を取得
そんな母親の後押しもあり、理数系の才能を伸ばしたグレースは名門女子大のヴァッサー大学に入学。
1928年にイェール大学の大学院へ進学し、卒業後は母校のヴァッサー大学で教鞭をとり、1934年には数学の博士号を取得し、母親が成しえなかった夢も叶えました!
そして、女性で数学の博士号を取得したのは彼女が史上初の快挙でした!






軍隊へ志願
グレースは1941年には准教授にまで昇進しました。
しかし、第二次世界大戦が開戦したことで、転機が訪れます。
新しいことへのチャレンジ精神にあふれた彼女は、なんと海軍に志願したのです…!




それでも諦めず、困難を乗り越え、海軍予備隊に入隊を果たしたのじゃ
ハーバード大でプログラミングを担当
海軍では数学者としての能力を買われ、ハーバード大学でコンピュータのプログラミングに従事します。
当時、ハーバード大ではハワード・エイケン博士とIBMが協力して、最初の電気機械式計算機である「ハーバードマークⅠ」が制作されていました。
ハーバードマークⅠの裏で開発されていた「ENIAC」についてはこちら

ハーバードマークⅠは、全長16m、高さ2.4m、奥行き60㎝、総重量4.5トンのモンスターマシン!
無数のスイッチ、リレー、歯車からなっており、使われている電線の総延長は800㎞、5馬力の電気モーターで駆動します。
そして、アメリカで作られたそれは最初の「プログラミングできるコンピュータ」でした!
グレースは最初期のプログラマーとして、コンピュータの仕事に熱中します。




「バグ」の名付け親
グレースは「マークⅠ」の後継機「マークⅡ」のプロジェクトで働いていた際、不調になった機械を調べたところ、リレーに虫が挟まっているのを見つけました。
彼女はこの虫を作業日誌に貼りつけ「本物の虫が『バグ』として発見された最初の例」と書き記しました。
このことで彼女がプログラムの欠陥を「バグ」と名付けた人物と紹介される事もありますが、機械の不具合の事を「バグ」と呼ぶ例はもっと昔からありました。
たとえばエジソンは1878年に同僚に宛てた手紙で、機械の故障を「バグ」と呼んでいます。
彼女がこの虫のエピソードを好んで語っていたことから、プログラムの不具合の事を「バグ」と呼ぶことが広まったというのが実際のところです!






人生のどん底からのCOBOL開発

エイケン博士と共同で論文を執筆するなど、有能なコンピュータ科学者として活躍をつづけたグレース。
しかし、彼女の人生は少しずつ狂いだしていたのです。
あまりに仕事熱中しすぎたため、ほったらかしにされた夫は不満を募らせ、1945年、離婚を言い渡されてしまいました。
さらにはハーバードでの仕事も、保守的な組織の中でキャリアの天井にぶつかります。
ストレスからアルコールに逃げるようになった彼女は寒空の下で酔いつぶれ、警察に保護され一命をとりとめるという有様でした。
うつ病も発症し、川に身を投げようとしたこともあります。
しかし、どん底の彼女を再び立ち上がらせたのはやはりコンピュータの仕事でした。
機械と会話できる言語の発明
1949年、彼女は民間の「エッカート=モークリー社」に移籍しました。
「世界最初の電子計算機」と呼ばれる、「ENIAC」を制作したジョン・プレスパー・エッカートとジョン・モークリーが設立した会社です。
エッカートとモークリーについてはこちらの記事もチェック

ここで彼女は世界初のビジネス用汎用電子デジタルコンピュータ「UNIVAC」の開発に参加します。
コンピュータと英語で会話する
当時は、8進法や記号によるプログラミングが主流でした。
しかし、グレースは日頃「プログラムは英語で書けるようにすべきだ」と唱えていました。
機械語では、特殊な訓練を受けた人間しかコンピュータを扱えません。
コンピュータを身近なものにするには、もっとわかりやすい、「人の言葉に近いプログラミング言語」が必要だと考えていました。
しかし、周囲の人からはあまり理解を得られません。
許可を求めるな(やってしまってから)謝罪せよ
Don’t ask for permission, beg for forgiveness
が信条のグレース。
独自に研究を重ね、1957年、世界初の英語のような構文を用いたコンパイラ言語「FLOW-MATIC」を開発しました。
COBOL誕生
これに目をつけたのがアメリカ国防総省。
当時の事務処理言語は開発メーカーごとに異なり、非効率かつ混乱していました。
これを統一しようと考えた国防総省は、グレースに働きかけ、「FLOW-MATIC」を改良した「COBOL」が完成します。
アメリカ政府の事務処理システムは全てCOBOLのみで納品される事となり、事務処理用言語として世界中に普及することになりました。
この時、彼女は53歳になっていました。

ちなみに、「COBOL(コボル)」ってどういう意味なんだ?

日本語にすると「共通事務処理用言語」じゃな


事務手続きの処理を英語で記述していけば、それをほぼそのままプログラムで再現できるということで、オフィスワークが一気に電子化されたんじゃ


70年代から80年代にかけて、ビジネスアプリケーションの開発に携わる者にとってCOBOLは必須の言語だったんじゃ
海軍准将グレース・ホッパー

生涯の大半をプログラミングの最前線での仕事に費やしていましたが、その間も彼女はずっと海軍に在籍していました。
1966年、中佐で海軍予備役に退きますが、翌1967年には現役に復帰。
1967年から1977年までの間は、海軍の情報システム計画局で海軍プログラミング言語グループのディレクターを務めました。
1973年には大佐となり、1986年に退役した時には准将となっていました。
この時、79歳。
引退後はDEC社の顧問となり、各地でコンピュータを一般の人が使えるようになったことの意義について講演してまわりました。
永遠に残る彼女の偉業
素晴らしい業績を残した彼女は、有名な楽曲になぞらえ「アメージング・グレース(驚異のグレース)」とたたえられました。
そんな彼女も、1992年、85歳で亡くなりました。
アーリントン国立墓地で行われた壮大な葬儀は全米に生中継され、多くの人がその死を悼みました。
亡くなった後も彼女の栄誉はいたるところで称え続けられています。
1996年 | アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦20番艦「ホッパー」進水 |
---|---|
2009年 | 米国立エネルギー研究科学計算センターのメインシステムが「ホッパー」と名付けられる。海軍情報局が「グレース・ホッパー情報サービスセンター」を設立 |
2017年 | イェール大学に「ホッパー・カレッジ」開校 |
2020年 | Googleの海底ネットワークケーブルが「グレース・ホッパー」と名付けられる |
2021年 | サイバーセキュリティのリーダーを表彰する「アドミラル・グレース・ホッパー・アワード」設立 |
2022年 | Nvidiaが次世代GPU「Hopper」を発表 |
1945年に離婚したのち、彼女は生涯再婚せず、「グレース・ホッパー」を名乗り続けました。
その一生を仕事にささげた彼女の名は、多くのプログラムと記念碑と人々の記憶の中に残り続けています。

ちなみに、COBOLって今でも使われてるのか?

もっと多い8000億行を越えているという推定もあるくらいじゃ



私も彼女みたいに歴史に名を残したい!🔥

まずはなにかを成し遂げるのじゃ!

まずは、海軍に志願すっか!🔥

名が残せないのは、そういう思考じゃな…
戦士は3日で海軍志願を諦めた
グレース・ホッパーの精神を受け継いでいくあなたへ

グレース・ホッパーが生み出した「英語で書けるプログラム」。
今では当たり前ですが、彼女の「大発明」は進化し、様々な言語を生み出し、生活が一変しました。
そして、今や、ITエンジニアは不可欠な存在となりました。
2025年現在、フリーランスエンジニアの平均年収は全体の平均値は約765万円。
さらに1000万円を超える人は全体の7.5%もおり、しっかり稼げている人がサラリーマンよりも多い割合になります。
現在、会社員エンジニアの方も、フリーランスになることで高収入を目指せる可能性が高い世界なのです。
——でも、1人でフリーランスになるのは心細い。しかも、どうやって仕事を獲得すればいいんだ…!?
そんなエンジニアにとって、頼もしいパートナーとなるのが「エージェント」の存在です。
高単価の優良案件をあなたに代わり獲得し、あなたがエンジニアの仕事だけに集中することができるように二人三脚でサポートするのが、エージェントの仕事です。
エージェントの仕事
- 案件獲得までの営業を完全代行
- 本業だけに集中できるようにサポート
- 案件の利益が最大限になるように交渉してくれる
エージェントと契約するということは、あなたの収入を引き上げる契機でもあるのです!
エージェントによって手取りが変わる!?

エージェントを利用することで高単価の仕事が獲得できたとします。
しかし、一般的なエージェントでは、報酬から25%程度のマージン(手数料)を取られてしまうのはご存じですか?
そうです。高年収を目指すにはマージンが低ければ低いほど手元に残るお金は増えますが、この部分はエージェントによりブラックボックスとなっており、あなたに開示されることはほぼありません。
エージェントサービスの手数料は一定ではなく、選ぶ業者によって、あなたの手取りが大きく上下することは、まずは知っておいていただきたい点の1つです。
そんな収入UPを目指す方のために、「マージンが最大10万円」という業界最安水準のエージェントサービスがあります。

この利益還元を重視したエージェントサービスを運営しているのは、現在、15期目のIT企業「ライトコード」。
代表は当時、フリーランスとして大手有名WEBサービスなどで活躍していました。
その中で、自身も不透明なマージンや労働環境に苦しんだ経験がありました。
業者によってマージン率は非公開で、報酬の内訳を公開していないことがほとんど。
未だに旧態依然とした状態が続く業界に一石投じるために、エンジニアへの利益還元と透明性を最優先に考えてスタートしたのが「ITANKEN(IT案件.com)」です!
エンジニアの手取りUPを実現させる5つのお約束

ITANKENのポイントはこの5つ。
①マージンが最大10万円で業界最安値水準(記事)
②支払いサイトは15日で業界トップクラス(記事)
③公平性と透明性を重視したお取引(記事)
④エージェントは人柄を重視(記事)
⑤開発責任者は元フリーランス(記事)
仕事内容や単価などでお困りのことがあれば、まずはお気軽にご相談くださいませ!
以下ボタンより、4つの項目に答えるだけの簡単登録(無料)のみでご利用いただけます。
最後まで読んでくれた方へ

現在、お祝い金キャンペーン実施中です!
ITANKENをご利用いただいたフリーランスの皆様への感謝の気持ちとして、案件稼働1ヶ月経過後の初回報酬支払い時に、現金30,000円をプレゼント中!
申請手続きは不要で、対象の方には自動で指定口座に振り込まれます。