記事を3行で解説
➀ドン・ダグローは劇作家志望だった学生時代、大学のコンピュータで世界初の野球シミュレーションを開発。
➁RPGの始祖『Dungeon』やシミュレーションゲームの元祖『Utopia』など、次々と新ジャンルを開発。
➂アタリショックを乗り越え独立し、世界初のグラフィカルMMORPG『Neverwinter Nights』でゲームを新たな次元へ導いた。
元祖RPGの前のRPG?



だが、その前にRPGをコンピュータゲームにした人がいたんじゃよ



それが当時の子供の間で大人気で、コンピュータゲームとして再現したくなったのじゃ!
そのゲームを作ったのがドン・ダグロー

今日はその話をおねがいします!
劇作家を夢見たドン・ダグロー

ドン・ダグローは1953年、アメリカ生まれ。
SFやファンタジーをこよなく愛する少年で、12歳で自ら小説を書き始めるほどの情熱家でした。
そんな、彼の夢は「劇作家」で、自分を表現する道を志し、ポモナ・カレッジに入学します。
そこで運命を変えたのは、彼が生活していた学生寮に設置されていた一台のコンピュータ!
これはPDP-10というメインフレームコンピュータに接続されており、文系学生にもコンピュータに触れる機会を与えるという、大学側の粋な計らいで置かれたものでした。
ダグローも他の学生同様にコンピュータに夢中になり、ついにはゲームを作成したいと思うようになったのです!

それを寮に置くなんて、大学の英断がすごい!

大学側が「理数系じゃない子にもコンピュータに触らせてあげよう!」という教育目的で用意した端末だったんじゃ

これから、世界のゲームの歴史が始まったって、ロマンあるわね!


大学からは「ゲームプログラミングは禁止!」っていうカタイお達しがあったのである~

まるでゲームのようなスリル満点な日々を送り始めたのね
世界初の「野球シミュレーション」ゲームが誕生!

そうして1971年、ダグローが最初に完成させたゲームが「ベースボール(Baseball)」でした!
熱狂的な野球ファンだったダグローは、ボードゲームで遊んでいた野球をコンピュータで再現。
バッターやピッチャーの操作はもちろん、盗塁や代打もできちゃうテキストベースの超本格派!
これは、世界初のコンピュータ野球シミュレーションゲームとされています。
このゲームはすぐにDECUSを通じて大学間で広まり、「今までにない画期的な野球シミュレーション」として大人気となりました!



「野球殿堂入り」のゲームクリエイターなんて、世界に何人もおらん。
ダグローの天才ぶりがわかるじゃろ?
スタートレック
「ベースボール」で自信をつけたダグローは、1972年に大好きなTVシリーズを題材にした『スタートレック(Star Trek)』を作製!
実は、1971年にマイク・メイフィールドによってすでに作られていましたが、ダグローは「自分の理想のスタートレック」を追求!
エンタープライズ号の動きを制御して、戦闘の選択肢で物語が変わるなど、シナリオ重視の設計にしました!
このゲームでファンレターが届くようになり、ダグローは完全にゲーム制作の道に夢中になったのでした!


そんな、ダグローは次に絶対作っておきたいゲームがあった



サイコロを振って、宝物を見つけたり、敵を倒したり、経験値を増やしていく、まさに現在のRPGの基本となる要素がすでに詰め込まれていたんじゃ
ダンジョンズ&ドラゴンズのデジタル化
この「ダンジョンズ&ドラコンズ」をコンピュータで再現したゲームが、1975年に発表された「Dungeon(ダンジョン)」です。
このゲームの最大の革新は、単なるテキスト(文字)の羅列に終わらなかったこと!
ダグローは、当時のCRTモニターの表示能力(1秒間に約10~30文字)を最大限に活用し、アスタリスクなどの文字記号を使ってダンジョンマップを描き出すことに成功し、コンピュータグラフィックスを取り入れた初めてのRPGゲームとなりました。
特に、プレイヤーの視界に入った部分だけが表示されるという、後のゲームの基本となる「フォグ・オブ・ウォー(視界の霧)」のアイデアのルーツでもありました。
さらに戦闘面では、パーティ制で複数のキャラを操作できたのに加え、近接と遠隔の区別がある本格派でD&Dの戦術を再現したと話題に!
テーブルトップではゲームするにはキャラクターの人数を集めなければなりませんでしたが、ダグローが作ったゲームは一人でも遊ぶことができたのも衝撃でした。


RPGにドラゴンやダンジョンが多い理由が分かった気がする!




正確な日付を特定し、どちらが数週間・数ヶ月早かったかを決めるのは非常に困難じゃった

「最も影響を与えた」という視点ではどう?

一方、ダグローのDungeonは、より多くのシステムに移植され、後のコンピュータRPGのジャンル形成に大きな影響を与えたといえるな
暗黒時代を乗り越えて:ゲーム業界の立役者へ

ダグローは大学を卒業後大学院に進み、9年間大学に在籍しました。
しかし、「ゲームを仕事にしよう」とはこれぽっちも考えていませんでした。
当時のコンピュータは家が何軒も買えるぐらいの高価な物であり、エアコンがある大きな部屋も必要でした。
コンピュータでゲームできるのは、学生でいる間の贅沢な遊びでしかなかったのです。
ダグローは劇作家の勉強を続け、教員資格も取り、大学を去った後は教師となりました。
戻ってきた天才
その頃、コンピュータは大きな変換期を迎えていました。
家庭用のコンピュータゲームは1972年に「オデッセィ」が発売して以来、それぞれの後続機が発売されるようになっていました。
その中の一つに「マテル」がありました。
マテルはテレビゲーム機「インテレビジョン」を開発し、1980年に発売しました。
その年、ダグローはあの時の興奮が忘れられず、マテルのゲームプログラマーとしてゲーム業界にカムバック!
従業員たった5人の超少数精鋭チームでした!
シミュレーションゲームの元祖「ユートピア」
ダグローがインテレビジョン用に作ったゲームは「ユートピア」で、1982年に発売されました。
『ユートピア』は、戦闘やアクションではなく、プレイヤーが自分の島に建物を建て、住民が増えることに対処していくという、シミュレーションゲームやシティビルダー(都市建設)ゲームの先駆けとなりました。
これもまた、ダグローが作った「世界初」のゲームジャンルとして歴史に名を刻みました!
この新しいゲームは注目され人気を集めました。
ワールドシリーズチャンピオン
続いて1983年「ワールドシリーズチャンピオン」を完成。
複数のカメラアングルを使用した、3D表示も可能な野球ゲームです。
実際のメジャーリーガーの名前を使うことはかないませんでしたが、ダグローが過去に作った野球ゲームをはるかに上回るゲームとなりました。
その年のクリスマス商戦を狙っての販売でしたが、思いもよらぬできごとが起こります。
アタリショックの影響
アタリ社は巨額の赤字を抱え、他の多くのゲーム会社も倒産や市場からの撤退を余儀なくされました。
追い打ちをかけるようにライバル会社のコモドールが、低価格で「コモドール64」を販売し、下取りキャンペーンも始め、他社のテレビゲーム機を壊滅状態にしたのでした。
これは、アタリショックと呼ばれ、ゲーム市場は大崩壊。
インテレビジョンも販売が落ち込み、マテルはとうとうゲーム市場から退却することに。
ビデオゲーム業界は「暗黒の時代」に突入してしまいます。
この危機に手を差し伸べてくれたのは、エレクトロニック・アーツの創業者トリップ・ホーキンスでした。
家庭用コンピュータゲームを制作しているエレクトロニック・アーツは、この状況のなかでも優秀なゲームプログラマーを探していたのです…!
アタリショックについてはこちらの記事をチェック!

映画とゲームの共通性
新しい環境に身を置いたダグローは、まずはコモドール64向けのゲーム制作を開始しました。
しかし、コモドールが衰退していくと、AppleⅡに焦点を移し、厳しい時代を乗り切りました。
その間、「Realm of Impossibility」や「Adventure Construction Set」などのヒット作を生み出し、「ユートピア」や「ワールドシリーズチャンピオン」の続編も制作しました。
1987年にはブロードバンド社に移り、ゲームを監督する役職に回ります。
ダグローはスターウォーズのRPGの制作に関わり、映画とゲームの共通性を感じ、ゲームに対しての創造性がますます高められていくのでした。
とうとうダグローはブロードバンドを辞め、自分の会社を設立することを決意します。



まだまだ作りたいゲームがあったのじゃ
最初のMMORPG「Neverwinter Nights」の開発

1988年、ダグローはカルフォルニア州サンラファエルでゲーム開発会社「Stormfront Studios」を設立しました。
優秀なスタッフが集まり、会社の名前を一気に有名にするゲームが誕生しました。
そのゲームの名前は「Neverwinter Nights」。
「Neverwinter Nights」はオンラインサービスの会社AOLとタッグを組んで、制作されました。
ダグローは一人でプレイするRPGを、オンラインで多くの人が参加しプレイするMMORPGにすることを思いつき、オンラインゲームを提供しているAOLが最適だと考えたのでした。
これはなんと、世界初の「グラフィカルMMORPG」でした!
この大規模なプロジェクトの成功のため、ゲーム開発会社「Beyond Software」に協力を仰ぎ、「Stormfront Studios」のキャスリン・マタガをプログラマーに任命してチームを組みました。
エミー賞を受賞

「Neverwinter Nights」はプレーヤーが経験値を積みスキルを上げていくRPGの要素は変わりませんでしたが、オンライン上でチームを組み冒険し、モンスターと戦う楽しさがプラスされました。
ゲームイベントも行われ、熱心なファンが増えていきます。
この成功はダグローを満足させ、1997年のサービス終了時には、115,000人のユーザーがいました。
そしてMMORPGを前進させたとして、2008年にテクノロジー & エンジニアリング・エミー賞を受賞。
Stormfront Studios は、他にも「NASCAR Racing」や「タイガー・ウッズ PGA ツアーゴルフ」など他社をリードするゲームを制作し、ゲーム業界を発展させ盛り上げていきました。
2000年を過ぎると、「ロード・オブ・ザ・リング: 二つの塔」や「スパイダーウィック クロニクルズ」など映画に付随したゲームを制作。
ダグロー自身は1995年、現場から退き、CEOとして会社を見守るようになりました。





彼は自身の『ウルティマ オンライン(1997年)』の宣伝の際に「MMORPG」という言葉を初めて使用し、商業的にはじめて大成功をおさめたことで、ジャンル名を確立したんじゃ

「Neverwinter Nights」は1991年生まれだから「ウルティマ オンライン」よりも早いもんね

グラフィックを持つ現代的なMMORPGの原型を作ったのはダグローといえる





私も、経験値を稼いでレベルアップしていかなきゃ

よし、では、先日企画したゲームを今から創るぞ

これは~、レベル不足でクリアできそうにありませんな…



ゲームとは「語り合うもの」

成長を続けてきた会社ですが、2008年に発行元のシエラエンターテイメントの閉鎖により、「Stormfront Studios」も幕を閉じます。
ダグローはこれまで55本のゲームを作りました。
ダグローは新しいハードウェアが出る度に、どのようにしてこれで人々を感動させ、どんな大きなことをしようかと考えていました。
そして映画と同じように、ゲームが終わった後に作品について語り合って欲しいと考えていました。
いかなる時にも挑戦する気持ちが、今までにない新しいゲームを作る原動力だったのです。
そして現在、ゲームが終わった後に作品について語り合うことが当たり前の時代になりました。
ゲームを次の次元に引き上げたダグローの功績は計り知れません。
平均収入は約765万円 !?
ダグローのような天才が今のITの可能性を引き上げ、今や、ITエンジニアは不可欠な存在となりました。
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