【アタリ創業者】スティーブ・ジョブズを雇った男「ノーラン・ブッシュネル」

記事監修
(株)ライトコード代表取締役 金城直樹
元フリーランスエンジニア。「自分で作ったものを自分で触れないのは物足りない」と考え、BtoC向けのWebアプリ・モバイルアプリ開発を専門とした(株)ライトコードを2011年に創業。
「好きを仕事にするエンジニア集団」を掲げ、現在、50人以上のエンジニアを束ねる。会社経営の傍ら、今だに第一線で活躍するエンジニアでもある。開発のことなら何でもござれな「何でも屋」。趣味は釣り。

記事を3行で解説

➀ノーラン・ブッシュネルは1972年にアタリを創業し、世界初の大ヒットビデオゲーム「ポン」でゲーム市場を開拓、「ビデオゲームの父」と呼ばれる存在になった。

➁若きスティーブ・ジョブズとウォズニアックにも影響を与え、後のAppleの礎に繋がる経験を提供する一方、アタリはワーナー売却後に経営方針の対立や「アタリショック」で衰退。

➂ノーランはその後も20以上の事業を手掛け、今なお革新を続ける起業家としてゲームとテクノロジーの未来を牽引している。


「ビデオゲームの父」ノーラン・ブッシュネル

戦士戦士
あのゲーム機が全然買えない…
そういえば昔は、ゲームってあったんですか?
スライム師匠スライム師匠
うっすらバカにしとるじゃろ?
1970年代に「スペースインベーダー」が大ブームになったんじゃ。
後に「ストリートファイター2」などの世界的ヒット作が生まれたりしたんじゃ
聖徳聖徳
現代とは違い、ゲームは家ではなくゲームセンターでするのが当たり前だったのである~
戦士戦士
そういえば、自宅でゲームする文化はいつから始まったの?
スライム師匠スライム師匠
「発明」という意味では1962年の「スペースウォー!」じゃな!
だが、市場を築いたという意味では「ノーラン・ブッシュネル」が1972年にアタリを創業した頃かのう
戦士戦士
あ!
アタリショック」で有名な会社?
スライム師匠スライム師匠
そうじゃ!
誕生より崩壊の方が有名なのもかわいそうな話じゃがな…
今日のゲームの隆盛のきっかけを作った重要な会社でもある
聖徳聖徳
当時ヒッピーだった、今若き日のスティーブ・ジョブズもアタリで働いていたのでおじゃる~
戦士戦士
ええ!?
ジョブズが?
スライム師匠スライム師匠
ノーランはジョブスの師匠のような存在じゃ!
コンピュータゲームの誕生からアタリの全盛期まで、くわしく解説しようかのう!
目次

ノーラン・ブッシュネルのアタリ創業記

ノーラン・ブッシュネルは1943年、ユタ州ソルトレイクシティに近い町、クリアフィールドで生まれました。

幼少期からSF小説や数学、パズルに夢中となり、10歳でアマチュア無線に熱中するなど幼い頃から技術や創造性に溢れていた少年でした。

1961年にユタ州立大学に入り、後にユタ大学工学部に転入。

大学では電気工学とプログラミングを学びつつ、当時の最先端ゲーム『スペースウォー!』に出会います。

このゲームは宇宙戦をテーマにし、太陽の重力を活かした高度なシューティングゲームでしたが、高価すぎるPDP-1コンピュータ上でしか動かず商品化は断念を余儀なくされました。

近くの遊園地でアルバイトをしていた彼は「これを遊園地に置けば人気になるのでは?」と考えます。

しかし、PDP-1が12万ドルもすることを知り、断念することになります…

アンペックス社で仲間と出会う

1965年大学を卒業した後、世界初のテープレコーダー会社であるアンペックス社に入社します。

ここで、後に共にアタリを創業する「テッド・ダブニー」や「アラン・アルコーン」と出会います。

1970年、かつては高価だった電子部品が安くなっていることに気づいた彼は「スペースウォー!」のアーケードゲーム版の開発に取り掛かります。

すでに結婚して2人の子供がいましたが、次女を子供部屋から追い出して工作機械を持ち込み、夜な夜なゲーム作りに励みました。

史上初のアーケードゲームを発売するが…

そしてついに史上初のアーケードゲーム「コンピュータースペース」が完成します!

これを市場に投入するため、彼は同僚のテッド・ダブニーラリー・ブライアンとともにゲーム機メーカーのナッチング・アソシエーツ社に移籍します。

1971年、「コンピュータースペース」を1500台制作しますが、結果は50台しか売れず大惨敗

敗因はゲームが難しすぎたことでした…

大学生には好評だったものの、それ以外の世代にはまったくウケませんでした…

独立してアタリを設立

ゲームへの情熱が冷めないノーランは、1972年、「ラルフ・ベア」が作った世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」のプライベートショーを視察します。

「オデッセイ」は、これまでなかったテレビに繋いで遊ぶことができるゲーム機で、コントローラーもついており、今日の家庭用ゲーム機の原型です。

ノーランはこれに強く感銘を受け、独立して新会社を設立する決心をしました。

ブライアンは創業前に離脱してしまいましたが、アンペックスからついてきてくれたテッドとともに小さなガレージを借り、そこを事務所兼工作所とします。

社名は好きだった囲碁の用語から「アタリ」と命名しました。

アーケードゲーム「ポン」が大当たり

アタリ創業時、社員はノーランとテッドの2人。

3人目の社員として娘のベビーシッターだった女性を電話番兼受付嬢として雇います。

そして、アンペックス時代の同僚だった技術者、「アラン・アルコーン」を副社長兼エンジニアとして4人目の社員に引き抜きます。

ノーランはアランに、「オデッセイ」で見たテニスゲームを説明し、再現させました。

アランはいとも簡単に作り上げ、ノーランは出来上がったゲームは「ポン」と名付けました。

そして、ポンの筐体を設置してくれるお店も決まり、営業が開始。

「コンピュータースペース」の二の舞にならないように、毎日祈るような気持ちでソワソワしていました。

そして3日後、設置場所のオーナーから「コインが入れられなくなった」と苦情の電話が入りました。

大急ぎで駆け付け、硬貨箱を開いてみたところ、中にはコインがぎっしり。

あまりに多くの人が遊んだため、硬貨箱が満杯になり、コインが入らなくなっていたのです…!

ポンは記録的な大ヒット!

ポンは世界で初めて大ヒットしたビデオゲームとして歴史に名を刻み、ノーランの名声を不動のものとしました。

戦士戦士
オデッセイのテニスゲームをみて「ポン」を作ったのなら、それはパクリということでは?(笑)
スライム師匠スライム師匠
おい!やめるのじゃ!
まあ実際、「ポン」の大ヒットをみた「オデッセイ」の開発者ラルフ・ベアは怒っていたんじゃがな
戦士戦士
やっぱり!
スライム師匠スライム師匠
ノーラン許すまじと、プライベートショーに彼が来た時の目撃証言まで集めて訴えたんじゃ。
ノーランは「参考にはしたが、ポンの方がずっと面白い」と反論しておる
戦士戦士
確かに面白ければ、先にオデッセイのほうがヒットしてるはずですもんね
スライム師匠スライム師匠
結局、ノーランがライセンス料を支払って和解したが「世界で初めてヒットしたビデオゲーム」の称号は「ポン」のものになったんじゃ

若き日のスティーブ・ジョブズ、アタリに就職

早速、ノーランはポンの増産に入ります。

手持ちの資金で材料を買い集め、組み立てて売り、売って得たお金で材料を買い、また組み立てて売るという自転車操業でした。

それでも原価400ドルで作ったポンは1200ドルで飛ぶように売れました。

たちまちガレージは手狭になり、となりのガレージも借り、さらに潰れたローラースケート場を借り、そこから最新設備の工場に移転と、9カ月で3回も引っ越しするという急成長を見せます。

そして、ノーランは人手が足りず、職業安定所に行って、ヒマそうにしている人間を片っ端から雇いました。

それでも人が足りず、求人広告をだすことにしました。

キャッチコピーはこんな感じ。

楽しく金を儲けよう

こんなコピーで一体どんな人が来るのでしょう?(笑)

この広告に引き寄せられた男こそ

なんと、若き日のスティーブ・ジョブズです!

戦士戦士
こんなコピーで、まさかのジョブズ来ちゃった!(笑)
スライム師匠スライム師匠
ノーランは「求人広告こそが勝負だ。それがクリエイティブでなかったら、誰がクリエイティブになってくれるのか」と言っておる
戦士戦士
結果、スティーブ・ジョブズが来たんだからこのコピーは大正解だったわけか!
やっぱりジョブズはアタリで大活躍したんですか?
スライム師匠スライム師匠
うーむ。
じゃあ、若き日のジョブズがどうなったか見てみるぞ!

問題社員スティーブ・ジョブズ

1974年2月、18歳のジョブズは東洋思想に傾倒しており、インドへ行く旅費を稼ぎたくてアタリの門を叩きました。

ロビーに汚いヒッピーが来て、雇ってくれるまで帰らないと居座っている」という報告を受け、ノーランはジョブズを面接しました。

ノーランはジョブズが情熱と才能をもっていることを見抜き、40人目の社員として採用します。

入社後のジョブズは長髪でシャワーも浴びず、サンダルで工場内をうろついては、誰彼かまわず尊大な態度で接したため、技術部長のアラン・アルコーンをはじめ、周りからの評判は最悪でした。

あげくの果てに上司のアランに「インドに行きたいから旅費を援助してほしい」と願い出ました。

流石にあきれ果てましたが、ミュンヘンに修理に行くという名目でドイツまでの旅費を出してあげました。

ジョブズは退社し、インドへと向かいました。

戦士戦士
ジョブズはなんで入社したんですか?(笑)
スライム師匠スライム師匠
インドまでの旅費が欲しかっただけじゃ(笑)
戦士戦士
ジョブズも自由過ぎますけど、それで旅費を出してあげる会社もすごいですね
スライム師匠スライム師匠
ところが翌年、ジョブズは帰ってくるぞ!!
戦士戦士
なぜ!?(笑)

ジョブズ・リターン

念願のインドへ行き、赤痢にかかってひどい目に合って帰国したジョブズは、1975年初頭、アタリに復帰します。

ノーランは直々に新作ゲーム「ブレイクアウト(ブロックくずし)」の回路の部品削減をジョブズに命じました。

部品を減らした分、報酬を出すと約束されましたが、ジョブズにそんな技術はありません。

当時、スティーブ・ウォズニアックは、親友のジョブズに夜中にこっそりアタリの工場に招き入れてもらいゲームで遊んだり、勝手に回路を改造したりしていました。

ジョブズは彼に「ブレイクアウト」の部品削減を依頼します。

2人の天才

実はノーランは、ジョブズがウォズニアックを招き入れていることを知っており、彼に泣きつくことも計算済みでした。

2人のどちらが天才か分かっていた」と言っています。

ウォズニアックは見事な技術で部品を減らしました。

しかし、あまりに複雑な回路は誰にも理解できませんでした。

そこで、ウォズニアックは、少し部品を増やしてわかりやすく修正しました。

ジョブズは報酬700ドルを山分けし半額の350ドルをウォズニアックに渡します。

しかし、ジョブズが受け取った報酬は実は5000ドルでした(笑)

後にこのことがバレ、2人の関係は一時的にギクシャクしたそうです。

戦士戦士
ノーランさん、なかなか策士ですね
スライム師匠スライム師匠
そのエピソードは二人の大天才の因縁とも言われ、ノーランの経営手腕と人材の見極め力を物語っているといわれておる。
人を見る目と使い方がとにかくうまかったんじゃ
戦士戦士
それにしても外部の人間を招き入れるとか、セキュリティがガバガバですね
スライム師匠スライム師匠
当時のアタリは自由な社風で、社員も大半がヒッピーじゃった。
だから、みんな大〇を吸いながら仕事をしていて、逮捕者が続出していたそうじゃ
戦士戦士
自由すぎる社風(笑)
スライム師匠スライム師匠
ちなみに「ブレイクアウト」には「牢破り」という意味もあって、仲間の脱獄を祈ってそんな名前をつけたという噂もあるくらいじゃ

大企業となったアタリとその終焉

1974年には、初の家庭用ゲーム機として、ポンの家庭用版「ホーム・ポン」を発売し、こちらも大ヒット。

資本金500ドルで始まったアタリは、翌年には320万ドル以上の売上を記録し、1975年には4,000万ドルに達します。

一方で業界は競争激化の様相を呈し、アーケードゲーム市場では続々と参入してきた他社にシェアを奪われていきます。

そこで、ROMカセットを差し替えできる家庭用ゲーム機「Atari 2600」の開発に着手しました。

しかし、ハードの研究開発には莫大な費用がかかり、ノーランは資金調達に苦しみます。

ゲーム業界はまだ若い業界なので銀行は冷淡です。

アタリを売却

そこで、自ら出資者を捜していたところ、映画会社のワーナーブラザースの親会社が興味を示しました。

1974年にアタリの株の半分以上をワーナーに売り、経営参加を認めました。

そして、1976年には全株を2800万ドルで売却しました。

この行動がアタリとノーランの運命を変えてしまうことになってしまうとはこの時は誰も知りません…

経営方針の違いで衝突

1977年9月、ついに「Atari 2600」が発売されました。(発売時の名称は「Atari VCS」)

しかし、発売当初の売れ行きは芳しくありません。

スピード経営が身上のノーランは、市場に出た技術はすでに過去のものとして、新たなゲーム機を作製しようとします。

しかし、「Atari 2600」のために大金を払ってアタリを買ったワーナーは納得できません。

今のまま「Atari 2600」で勝負しようとするワーナー側の経営陣とノーランは激しく対立することになってしまいます。

ワーナーによるノーラン追放

アタリはとにかく自由な社風で、服装もみな好き勝手で、ジャグジーに入りながら会議をするくらいでした。

しかし、アタリに乗り込んできたワーナーの社員たちはスーツ姿。

ノーランはゲームを開発するときも自らプレイして質を確認していましたが、ワーナーの役員は誰もゲームをしないタイプの人間でした。

対立は激化し、1978年にノーランは解任され、アタリを追い出されてしまいます…

その後のアタリ

ワーナーは新しいCEOを送り込み「Atari 2600」のテコ入れを試みます。

しかし、思うようにいきません。

売上が上向いたのは、1980年、日本で人気だった「スペースインベーダー」が移植され、これがキラーソフトとなりました。

1980年には200万台の「Atari 2600」が売れ、20億ドルの利益が得られました。

1982年には最大のヒットとなるナムコの「パックマン」が700万本のセールスを記録し、ワーナーの株価もうなぎ上りでした。

しかし、「パックマン」は実はかなり酷い出来でした。

アメリカの家庭用ゲーム機市場の大崩壊として有名な「アタリショック」が目の前に迫っています。

アタリ退社後は5年間、競合する業務をしてはならない」という規定に縛られたノーランは、アタリの成長と崩壊を横目で見ているしかなかったのです。

戦士戦士
この後、あの有名な「アタリショック」に繋がるのか…
スライム師匠スライム師匠
その引き金となったと言われている伝説のクソゲー「E.T.」が発売されたのが1982年の12月じゃ。
この辺の話も面白いんじゃが、長くなるので、それはまた別のお話しということにしておこう
戦士戦士
アタリはその後どうなったの?
スライム師匠スライム師匠
ワーナーは早々に見切りをつけて分割して売り飛ばしたんじゃ…
戦士戦士
かわいそう
スライム師匠スライム師匠
そのため、アメリカの家庭用ゲーム機市場の復活は1985年の「Nintendo Entertainment System(ファミコン)」の上陸まで待たねばならなくなったんじゃな

アタリショックでゲーム市場崩壊するもノーランは大富豪へ

その後アタリは、品質低下や1982年の『E.T.』の大失敗が重なりました。

翌年にはいわゆる「アタリショック」と呼ばれるゲーム市場の大崩壊を招きます。

ノーランは契約により5年間の競業禁止期間があったため、その光景をただ見つめることしかできませんでした。

一方でノーランは、アタリの株をワーナーに売った時点で1300万ドルの収入を得て大富豪となりました。

アタリ解任後も、それを元手にピザチェーンをゲームセンターと融合させた「チャックEチーズ」や教育ソフト、AR/VRといった先進技術関連の企業など20以上の事業を手がけています。

最新の彼は、2024年にもeスポーツテクノロジーズの基調講演を行うなど、常に時代の先端を走り続けています。

「シャワーでアイデアが浮かぶのは誰でもできる。だがシャワーを出て何かを実行する人だけが成功する」

彼の哲学は、上記のシンプルだが力強い言葉に集約されます。

これはまさに一貫した彼の行動力と革新性の表現であり、ゲーム産業のみならず起業家やクリエイターの心に深く響いています。

ノーランとジョブズの交流は続く

また、スティーブ・ジョブズとはアタリを辞めた後も様々な接点がありました。

「Apple I」の商品化の際、アタリに話が持ち込まれましたが実現はしませんでした。

また、「5万ドルでAppleの経営に参加しないか?」と持ち掛けられたこともありましたが、ノーランは断ってしまい、後になって「後悔している」と話しています。

しかし、その後もジョブズはノーランに様々な相談をし、助言を受けています。

特に人材登用や組織作りに関してのアドバイスが多く、その内容は「ぼくがジョブズに教えたこと」という本にまとめられています。

もし、アタリにやって来たジョブズをノーランが門前払いしていたら、その後の Apple の躍進はなかったかもしれません。

ウォズニアックも「Apple I」や「Apple II」を設計する際に、「ブレイクアウトの部品削減の経験が役に立った」と語っています。

「ビデオゲームの父」は「Appleの父」でもあるのかもしれません。

2025年の今も、ノーラン・ブッシュネルは新たな挑戦を続ける生ける伝説です。

彼の足跡は、「市場を切り拓き続ける行動する革新者」として今後も語り継がれることでしょう。

その活躍は過去の栄光のみにとどまらず、ゲームとテクノロジーの未来を牽引する原動力であり続けています。

戦士戦士
ジョブズとウォズニアックに影響与えたとか、ノーランはただのパクリ屋じゃなかったんですね!
スライム師匠スライム師匠
やめなさい!
確かに「コンピュータスペース」にしろ「ポン」にしろ、完全にオリジナルなものではない。
だが、良いアイデアを発見し、それを利用して新たな市場を作るというのは誰にでもできることではない
戦士戦士
確かに
スライム師匠スライム師匠
ノーランは「シャワーでアイデアが浮かぶのは誰でもできる。だがシャワーを出て何かを実行する人だけが成功する」と言っておる
戦士戦士
とにかく行動することが大事ってことですね!🔥
スライム師匠スライム師匠
そうじゃ!
大きなことを成し遂げよ、フリーランス戦士!
戦士戦士
では教えに則り、まずはシャワーを浴びてサッパリしてきます!!🔥
スライム師匠スライム師匠
(さっぱりしただけで終わるんじゃろうな…)

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