記事を3行で解説
➀C言語とUNIXはデニス・リッチーが開発し、現代の多くのプログラミング言語やOSの基礎となっている。
➁UNIX誕生の背景には「Space Travel」というゲーム移植の挑戦や、複雑すぎたMulticsプロジェクトの反省がある。
➂C言語は移植性と効率性を両立し、IT業界全体に革新をもたらしたリッチーの信念と精神は今も受け継がれている。


勉強しておいて損はないぞ



実は、この「UNIX」と「C言語」の開発には、同じ人物が関わっているのだ



今回は、知ってるようで知らない、C言語開発者のお話をご紹介しよう!
ベル研究所での理想と挫折

1941年、ニューヨーク州ブロンクスビルに生まれたデニス・リッチー。
父のアリステア・E・リッチーもベル研究所の著名な研究者で、幼少時から科学や数学に囲まれた環境で育ちました。
ハーバード大学で物理学と応用数学を修め、1967年、父と同じくAT&Tベル研究所に入所。
ここから、世界的なイノベーションの歴史が動き始めます!
Multicsプロジェクト
リッチーが最初に参加したのは、産学連携の巨大プロジェクト「Multics」でした。
これは、高性能なOS開発を目標とした、ベル研究所とゼネラルエレクロトニック社、そして、マサチューセッツ工科大学の共同プロジェクトでした。
Multicsとは「コンピュータ・ユーティリティ」です。
つまり、電気や電話のように誰もが使えるコンピュータ環境を目指し、当時としては画期的なタイムシェアリングOSを開発しようとしたものです!
「理想」が生んだ挫折
Multicsでは、ベル研究所にいたケン・トンプソンという人物と開発プロジェクトで同じチームとなり、協力関係が始まります。
ここで二人は技術的な議論や共同作業を重ね、信頼関係を築いていきました。
しかし、1969年にプロジェクトは中止されてしまいます。
この経験が、リッチーとトンプソンに「もっとシンプルで現実的なOSを作るべきだ」という強い動機を与えました。
そこで、Multicsプロジェクトの失敗を活かして現実的なOS開発に乗り出すことにしたのです!


当時のハードウェア性能やソフトウェア技術では、Multicsが目指した多機能性を十分に実現できなかったのだ…


開発が難航し、5年経っても完成せず、多大な時間とコストがかかってしまった。
ベル研究所は「目標達成の見込みが薄い」と判断し、1969年にプロジェクトから撤退したのだ…

Multicsは「高可用性」「柔軟なアクセス制御」「モジュール化」など、現代OSの基礎となる多くの概念を生み出したであるぞ~


ゲームが生んだ!? UNIX誕生の舞台裏

Multics撤退後、リッチーとトンプソンは研究所で考えていました。
UNIX開発前に使用していたコンピューターは、PDP-7という機種が使用されていました。
1965年に販売されたモデルなので、すでに型遅れでした。
Space Travel
そんなコンピューターを使用していた彼らですが、「Space Travel」というゲームをなんとかPDP-7で動かしたいと考えるようになります。
このゲームは、惑星間の重力や軌道をシミュレートした本格派。
しかし、モデルが古いためにゲームを動かすことはできません。
―――Multics上で動かしていたものを、PDP-7でも動かしたい。
この「欲望」がキッカケとなり、リッチーを奮い立たせ、開発しはじめたのがUNIXでした。
PDP-7は時代遅れの機種でしたが、二人はこの制約を逆手に取り、小さくてシンプル、かつ拡張性のあるOSをゼロから設計します。
こうして1970年、UNIXの原型が誕生したのです!
C言語の誕生!
初期のUNIXはアセンブリ言語で書かれていました。
これは機械語に近く、ハードウェアごとに書き直しが必要な「職人芸」。
アセンブリ語では移植が難しいことを悟ったリッチーが目をつけたのは「B言語」でした。
実は、相方であるケン・トンプソンがB言語の開発者だったのです。
しかし、B言語では、「実行速度」や「データ型の制約」、「機能拡張の限界」がありました。
そこで、この欠点を克服するため、リッチーは1972年に「C言語」を生み出しました!
C言語は、アセンブリ並みの効率性と、構造化プログラミングの分かりやすさを両立。
そして!
1973年には、C言語版のUNIXがついに完成!
UNIXがC言語で書き直されたことで、他機種への移植が劇的に容易になりました。



ゲームといっても、スコアや記録機能はなく、純粋に宇宙旅行と着陸のシミュレーションを楽しむゲームであるぞ~




特定の単語や頭文字を意味するものではなく、「B言語の後継」という命名なのね







世界を変えた「連鎖する革新」

当初、C言語とUNIXはPDP-11アーキテクチャに強く依存していましたが、1978年にはDEC製以外のコンピュータへの移植にも成功。
ここから、「UNIX」と「C言語」は一気に世界へ広がります。
C言語で書かれたUNIXは、大学や研究機関で爆発的に普及。
UNIXの「小さな部品を組み合わせて大きな仕事をする」という哲学は、現代のマイクロサービスやオープンソース文化の原点となります。
C言語は「C++」「Objective-C」「Java」「C#」など、数多くの言語の祖先となり、スマートフォンやクラウド、AIなど、現代ITのあらゆる場面で使われています。
このようにC言語を開発したリッチーは、IT業界に多大なる影響を及ぼしました。
デニス・リッチーの人柄とその後
リッチーは1983年、トンプソンとともにチューリング賞を受賞。
1990年にはIEEEハミングメダル、1999年にはアメリカ国家技術賞、2011年には日本国際賞も受賞しています。
晩年もベル研究所で「Plan 9」や「Inferno」といった先進的な分散OSの開発に携わり続けました。
2011年、心血管疾患と前立腺癌との闘病の末、静かにこの世を去ります。
スティーブ・ジョブズとの縁
奇しくも、Apple創業者スティーブ・ジョブズの死からわずか1週間後のことでした。
実は、Apple製品の「mac OS」や「iPhoneのiOS」もUNIXが元となっています。
また、mac OSやiPhoneのアプリについても、C言語を元にした「Objective-C」から構成されています。
この2人の死は、何か運命的なものさえ感じてしまうから不思議です。
リッチーの「現実的でシンプルなものを、みんなが使えるようにしたい」という信念は、今も世界中のエンジニアの手によって進化し続けています。
C言語とUNIXが現代にもたらしたもの

「現実的でシンプルなものを、みんなが使えるようにしたい」というエンジニアの信念が、現代のあらゆるIT基盤の根幹に息づいている



しかし、C言語以降の現在、プログラミングがどれだけ楽になっているか、エンジニアであれば分かるはずだ


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