マーク・アンドリーセン:Netscape Navigatorを開発し世界を変えたIT界の帝王

記事監修
(株)ライトコード代表取締役 金城直樹
元フリーランスエンジニア。「自分で作ったものを自分で触れないのは物足りない」と考え、BtoC向けのWebアプリ・モバイルアプリ開発を専門とした(株)ライトコードを2011年に創業。
「好きを仕事にするエンジニア集団」を掲げ、現在、50人以上のエンジニアを束ねる。会社経営の傍ら、今だに第一線で活躍するエンジニアでもある。開発のことなら何でもござれな「何でも屋」。趣味は釣り。

記事を3行で解説

➀田舎の「オタク少年」がMosaicとNetscapeを開発し、Webブラウザで世界の情報革命を起こした。

➁マイクロソフトとの敗戦や倒産寸前の地獄を乗り越え、最強VC「a16z」を設立した。

➂「ソフトウェアが世界を飲み込む」と予言し、現在はAIと投資でシリコンバレーにIT界の帝王として君臨。

対象:フリーランスエンジニア以外にも読んで欲しい記事


「Netscape Navigator」を開発したマーク・アンドリーセン

カトウカトウ
師匠、この本は捨てない方がいいですか?
にゃん八にゃん八
おー、懐かしいな
この頃は Netscape Navigator や Internet Explorer に合うようにサイトを作るのに苦労したものだ…
カトウカトウ
Netscape Navigatorってあの伝説のブラウザですよね?
にゃん八にゃん八
お、知ってるのか?
インターネットが始まってまだ間もない頃に現れた最初のグラフィックスなブラウザだ。
このNetscape Navigatorを開発したのが、マーク・アンドリーセンという若者で、24歳で億万長者となったんだ
カトウカトウ
💰💰✨
まさにアメリカンドリーム!
聖徳聖徳
マイクロソフトとの壮絶な戦争地獄のような倒産危機などもあったのである~
にゃん八にゃん八
そうだぞ、彼の人生は決して順風満帆というわけでもなかった…!
インターネットの歴史を変えた男の話をしていくぞ!
目次

コンピュータとWebブラウザとの出会い

本名マーク・ルウェル・アンドリーセンは、ウィスコンシン州のニューリスボンという人口わずか1,500人ほどの小さな町で育ちました。

彼はスポーツにも地元の話題にも一切関心がなく、学校が終わると図書館へ直行する”情報の砂漠における飢えた野獣“でした。

そんなアンドリーセンが9歳の時、「運命」に出会います。

図書館にあったコンピュータの解説書でした。

その後、親にねだって買ってもらったマイコン「TRS-80」で、彼は完全にデジタルの世界へ没入していきます。

アンドリーセンは小学生の頃には BASIC を覚え、ゲームを制作できるようになったりと、パソコンに親しみながら成長していきました。

イリノイ大学と「時給6.85ドル」の革命

イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(UIUC)に進学したアンドリーセン。

彼は、NCSA(米国立スーパーコンピュータ応用研究所)でアルバイトを始めます。

時給はわずか6.85ドル。しかし、ここで彼は歴史を変えることになったのです…

ブラウザ「ViolaWWW」でWebページを見て驚きました。

しかし、当時のインターネット(WWW)は、ティム・バーナーズ=リーによって発明されていたものの、画面は文字だけの退屈なものでした。

操作も難しく、物理学者同士が論文を送り合うための道具に過ぎなかったのです。

「もっと面白くできるはずだ」

アンドリーセンはインターネットが、これからの世界を変えるものになるだろうと確信。

彼は同僚のエリック・ビナと共に、狂ったようなペースでコーディングを開始しました。

彼らが目指したのは、画像とテキストを同一画面に表示でき、マウスでクリックするだけで世界中を移動できる「魔法の窓」だったのです!

Webの生みの親「ティム・バーナーズ=リー」についてはこちら!

にゃん八にゃん八
図書館でコンピュータの解説書に出会ったアンドリーセンはPCがないのにプログラミングしたという逸話が残っているぞ
カトウカトウ
どういうこと?
聖徳聖徳
自分が書いたコードがどう動くかを脳内でシミュレーションしていたのである~。
「ここで変数がこう変わって、ここでループして…」と、頭の中の仮想マシンでデバッグまで行っていたのでおじゃる
にゃん八にゃん八
初めて本物のPC「TRS-80」を手に入れた時には、すでにプログラミングを「習得済み」だったのだ(笑)
この「物理的な制約を頭脳で突破する」という経験は、ハードウェアの制約を超えてソフトウェアで解決する彼の思考の原点と言われているぞ
聖徳聖徳
TRS-80では、”宿題を自動化“させたというエピソードも残っているのである~
にゃん八にゃん八
アンドリーセンは学校の算数の宿題を「退屈で非効率な単純作業」だと感じていたんだ
カトウカトウ
大体の人がそうですけどね!
にゃん八にゃん八
そこで彼は、「宿題を解くプログラム」を書き、コンピュータに問題を解かせたんだ。
先生は「途中式を書いていない」と怒ったが、「答えは合っているし、この方法の方が効率的だ」と主張したんだ

「Mosaic」の成功

「ViolaWWW」は、テキストと画像を同じウィンドウで見ることはできませんでした。

そこでまず、テキストと画像を同じウィンドウで見られるようにし、フォームをサーバーへ送ることも可能にしました。

またUnix向けだったのをWindowsやMacOSにも対応し、誰でも簡単にインストールして使用できるブラウザにしたのがアンドリーセンが開発した「Mosaic」でした!

1993年にリリースされた「Mosaic」はすぐに50%以上のシェアとなり、インターネットを普及させる原動力となりました。

アンドリーセンはこの成功に歓喜しましたが、NCSAは「Mosaic」のライセンスをアンドリーセンとビナに与えようとしませんでした。

このことに落胆したアンドリーセンはNCSAを去りました…

にゃん八にゃん八
このMosaicは日本の研究機関や大学でも使用され、当時Webブラウザを見ることを「Mosaicする」と言っていた
カトウカトウ
ググる、と同じ感覚ですね。
この頃のインターネットって、まだ一部の人しか使わなかったの?
にゃん八にゃん八
そうだ、まだまだ一般にはインターネットは広まっていなかったからな。
ネットサーフィン」という言葉ができたのは「Netscape Navigator」が世の中に広まってからだ!

ネットスケープコミュニケーションズの設立

NCSAを退社したアンドリーセンにジム・クラークからある日連絡がありました。

ジム・クラークは、ユタ大学でコンピュータグラフィックスの父と呼ばれるアイバン・サザランドの教え子であり、シリコングラフィックス社の創業者で、この時にはすでに伝説的な起業家でした。

クラークは当初、テレビの双方向通信ビジネスを考えていましたが、アンドリーセンにはやりたいことがありました。

「ジム、次はインターネットです。ブラウザをやるべきです」

22歳の若者が、業界の重鎮を説得した瞬間でした。

こうして1994年、「Mosaic Communications(のちにNetscape Communications)」を設立しました。

そして、Mosaicのコードを一行も流用せず、ゼロから書き直し、より高速で堅牢なブラウザを開発。

1994年公開された「Netscape Navigator」は、「Mosaic」の機能に加え、W3CのHTML2.0に準拠して作られました。

ハイパーリンクやテーブルレイアウトが可能になり、ツールバーは拡張され、使いやすいブラウザとなりました。

「Netscape Navigator」はたちまち人気になり、「Mosaic」を超えトップシェアの座についたのです!

にゃん八にゃん八
実は、ネットスケープを設立する直前、アンドリーセンとジム・クラークは全く別のビジネスを構想していたのだ
聖徳聖徳
任天堂の次世代機向けに、インターネットを使ったオンラインゲームネットワークを作る計画を立てていたのでおじゃる~
カトウカトウ
ええ!?
任天堂と!
にゃん八にゃん八
だが、ジム・クラークは任天堂本社へ行ったが破談になってしまった
カトウカトウ
もし任天堂がYesと言っていれば、ネットスケープ・ナビゲーターは生まれず、今のWebの歴史は全く違ったものになっていたのね!

史上最も狂気じみたIPO

1995年8月9日、ネットスケープの株式公開(IPO)は、ドットコム・ブームの幕開けとして歴史に刻まれています。

る公開価格28ドルに対し、初値は71ドル、一時は75ドルまで高騰。

創業からわずか16ヶ月、利益などほとんど出ていない会社に、市場は数十億ドルの価値が付きました!

24歳のアンドリーセンは一夜にして5,000万ドル以上の資産を持つ億万長者となりました。

メディアは彼を「ゴールデン・ギーク(黄金のオタク)」と呼び、ビル・ゲイツに次ぐ次世代の英雄として大々的に報じました。

聖徳聖徳
しかし、アンドリーセンはIPOの歴史的瞬間のベルが鳴る午前9時30分にベッドの中にいたのである~
カトウカトウ
なんで?
寝坊したの?(笑)
にゃん八にゃん八
前日の深夜3時までコードを修正したりメールを返信していたため、11時頃に目を覚まし、自宅のコンピュータで株価をチェックして目玉が飛び出そうになったそうだ
カトウカトウ
そりゃ大物だわ(笑)
にゃん八にゃん八
一瞬で資産が5,800万ドルになったが、彼は「あくまで紙の上の数字(Funny Money)」だと言い放ち、その日も午後には出社して普段通り仕事をしたらしいぞ
カトウカトウ
その日、アンドリーセンはセレブの仲間入りしたのね
にゃん八にゃん八
その翌年、アンドリーセンは時の人として『TIME』誌の表紙を飾るんだが、その写真は王座のような椅子に座り、裸足という衝撃的なものだった
聖徳聖徳
これは「スーツを着た古いビジネスマン」に対する「Tシャツと裸足の新しいギーク」の勝利を象徴する写真として、長く語り継がれているのである~
カトウカトウ
ギークが世界の主役になった歴史的な日なんだね

ブラウザ戦争の敗北

しかし、あの巨人が黙ってはいませんでした…

マイクロソフトのビル・ゲイツは、インターネットの重要性に気づくと、全社を挙げて「打倒ネットスケープ」に動き出した。

1996年にはシェア70%で圧倒的な強さを誇った「Netscape Navigator」でしたが、マイクロソフトの「Internet Explorer」がじりじりと追い上げてきていました。

Windows 95に自社製ブラウザ「Internet Explorer 」を無料で抱き合わせするという、独占禁止法ギリギリの戦術に出たのです。

有料だったNetscapeに対し、OSに標準搭載されている無料のInternet Explorer。

勝負は見えていました。

AOLによる買収と敗北

ネットスケープのシェアは急落し、アンドリーセンは開発の最前線で戦いましたが、資本の論理には勝てませんでした。

その結果、1999年にネットスケープはAOLに42億ドルで買収

AOL はインターネット接続サービスとして更なる拡張のため、多くのユーザーを持つ「Netscape Navigator」を取り込もうとしたのでした。

その後、アンドリーセンはAOLの最高技術責任者に就任。

金額だけ見れば「成功」にも見えますが、シリコンバレーの覇権争いにおいては完全な「敗北」でした。

ブラウザ戦争の詳細についてはこちら!

にゃん八にゃん八
1999年、マイクロソフトはHTML4.0と互換性のInternet Explorer 5.0を公開。
この新しいブラウザの登場により、Webデザイナーにも新たな動きがみえはじめた
カトウカトウ
インターネットの普及に伴い、個人や企業などWebサイトが多く作られるようになった時代よね
にゃん八にゃん八
「Netscape Navigator」や「Internet Explorer」にそれぞれ対応したサイトを作っていたんだが、HTMLやCSSとの互換性が高い「Internet Explorer5.0」が公開されると、Internet Explorer向けのサイトをメインで作るデザイナーが次第に増えていったんだ…
カトウカトウ
そうなると「Netscape Navigator」はますますシェアが下がっていくのか…
にゃん八にゃん八
そうだ。
「Netscape Navigator」に合わせたサイトを作るデザイナーは激減してしまい、ブラウザ戦争に敗れ、2002年に開発は終了してしまった

地獄の黙示録:LoudcloudとOpsware

多くの記事はここで「彼は投資家になった」と端折ってしまいます。

しかし、実はこの期間こそが、現在のマーク・アンドリーセンという人間を形成した最も重要な時期であるのです!

彼はここで「地獄(The Struggle)」を見ました…

早すぎたクラウド「Loudcloud」

AOLの最高技術責任者となったアンドリーセンは、7か月後には早々と退社。

その後、ネットスケープコミュニケーションズでいっしょに仕事をしていた「ティム・ハウズ」や「ベン・ホロウィッツ」らとLoudCloudを設立しました。

これは現在のAWSのようなクラウドコンピューティングを、時代に10年先駆けて提供する会社でした。

カトウカトウ
相変わらず先見の明がありますね!
にゃん八にゃん八
しかし2000年、ドットコム・バブルが弾け、 顧客であるネット企業が次々と倒産した…。
Loudcloudの売上は蒸発し、資金調達も絶望的だった
カトウカトウ
タイミングが最悪だったわけか…
にゃん八にゃん八
メディアは「アンドリーセンの魔法は消えた」と書き立てたほどだった…

「ハード・シングス」との戦い

倒産寸前の極限状態で、彼らは決断を下します。

祖業であるクラウド事業を売却し、データセンター自動化ソフトウェアの会社「Opsware(オプスウェア)」へと業態転換することでした。

これは、走っている車のタイヤを交換するような狂気の沙汰で、株価は0.35ドルまで暴落し、社員の半数が去り、投資家は訴訟をちらつかせました。

アンドリーセンとホロウィッツは、眠れない夜を何年も過ごし、吐き気を催しながら出社する日々を送りました。

にゃん八にゃん八
しかし、彼らは諦めなかった。
徹底的な営業、製品改善、そして強靭なメンタルで会社を立て直したんだ
聖徳聖徳
その結果、2007年、Opswareはヒューレット・パッカードに16億ドルで売却されたのである~
にゃん八にゃん八
この「地獄からの生還」が、彼にただの技術オタクではない、冷徹かつ実践的な経営者としての筋肉をつけさせたのだ
カトウカトウ
詳しくは、ベン・ホロウィッツの著書『HARD THINGS』を読んでね

a16zの革命とシリコンバレーの支配者へ

2009年、アンドリーセンはベン・ホロウィッツと共にベンチャーキャピタル「Andreessen Horowitz(a16z)」を設立。

彼らが目指したのは、既存のVC業界の破壊でした。

当時のVCは、金融上がりの「銀行家」のような人間が幅を利かせ、起業家に対して上から目線で指図するのが一般的でした。

「起業家の痛みがわかるのは、起業家だけだ」

a16zは「創業者ファースト」を掲げ、パートナーは全員が元起業家であることを条件としました。

さらに、ハリウッドのタレントエージェンシーをモデルに、採用、広報、営業などの専門家チームを社内に抱え、投資先を全力でバックアップする仕組みを作ったのです!

予言の書「ソフトウェアが世界を飲み込む」

2011年、ウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿したエッセイ Why Software Is Eating The World(ソフトウェアが世界を飲み込む理由) は、その後の10年間の世界経済を決定づける予言となりました。

「あらゆる産業がソフトウェア産業に変貌する。映画も、農業も、国防も、金融もだ」

当時、FacebookやGrouponなどの評価額が高すぎると批判されていましたが、アンドリーセンは「これはバブルではない、産業構造の根本的な転換だ」と言い切りました。

結果はご存知の通り。

a16zは、Facebook、Twitter、Airbnb、GitHub、Stripe、Coinbase、Robloxなど、現代を代表する企業の初期あるいは成長期に投資し、莫大なリターンを叩き出しました。

2025年現在、その運用資産額は460億ドル(約7兆円)を超え、世界最強のVCとして君臨しています。

にゃん八にゃん八
要約すると、「古いビジネスモデルの企業は、ソフトウェア化の波に乗れないと、廃業に追い込まれてしまう」という内容だな
カトウカトウ
彼の予言通り、本の購買は「Amazon」、DVDレンタルは「Netflix」というようにソフトウェア化し、瞬く間に市場を席捲していきましたね
にゃん八にゃん八
この波は決して止めることはできなかった。
ちなみに彼が広めた概念は「Product-Market Fit (PMF)」だ
カトウカトウ
顧客が欲しがるものを作れ」というスタートアップの鉄則ですね
にゃん八にゃん八
おお、正解だ!
あとは、Strong Opinions, Loosely Held 「強い意見を持て、だが固執するな」。
彼の思考スタイルの核心部分で、間違っているとわかれば即座に意見を変える柔軟性が大事ということだ
カトウカトウ
にゃん八先生もガンコですからね。
唐揚げに絶対レモンかけない派じゃないですか~?
にゃん八にゃん八
唐揚げはそのまま食べるのが”オツ”なんだ
カトウカトウ
でも、唐揚げにはレモンサワー派ですよね?
固執してませんか?
にゃん八にゃん八
…。

マーク・アンドリーセンが変えた世界

マーク・アンドリーセンは、1990年代に「ブラウザ」で情報の流れを変え、2000年代に「クラウド」で企業のあり方を変え、2010年代に「ソフトウェア」で産業構造を変えました。

そして今、2020年代に「AI」で人類の知性を変えようとしています。

ネットスケープ時代、彼はこう言いました。

「変化は待つものではない。コードを書いて起こすものだ」

現在、50代半ばとなった彼ですが、その攻撃的な姿勢は少しも衰えていません。

むしろ、資金と影響力を手に入れ、その野望は国家レベルにまで拡大しています。

彼は今も、シリコンバレーの丘の上から、ソフトウェアが世界を飲み込み尽くす様を、満足げに見下ろしているのだ。

ITエンジニアの平均年収は?

マーク・アンドリーセンらの技術革新により、ますます人気の職業となったITエンジニア。

そんなITエンジニアの平均年収、ちょっと気になりませんか?

ITエンジニアの年収は、一般的に約458万円~462万円と程度といわれています。

この数字は、日本の平均年収と比べても高い水準にあります。ただし、年収は経験年数やスキルレベル、勤務先企業によって大きく異なるため、一概には言えません。

一方で、フリーランスエンジニアの平均年収は全体の平均値は約765万円で、1000万円を超える人は全体の7.5%もおり、しっかり稼げている人が会社員エンジニアよりも多い割合です。

高度な分野は、1500万円、2000万円と、さらに上も狙えて、有名企業の案件に携われるのも魅力的。

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④エージェントは人柄を重視記事
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