記事を3行で解説
➀田舎の「オタク少年」がMosaicとNetscapeを開発し、Webブラウザで世界の情報革命を起こした。
➁マイクロソフトとの敗戦や倒産寸前の地獄を乗り越え、最強VC「a16z」を設立した。
➂「ソフトウェアが世界を飲み込む」と予言し、現在はAIと投資でシリコンバレーにIT界の帝王として君臨。
「Netscape Navigator」を開発したマーク・アンドリーセン
この頃は Netscape Navigator や Internet Explorer に合うようにサイトを作るのに苦労したものだ…
インターネットが始まってまだ間もない頃に現れた最初のグラフィックスなブラウザだ。
このNetscape Navigatorを開発したのが、マーク・アンドリーセンという若者で、24歳で億万長者となったんだ
まさにアメリカンドリーム!
インターネットの歴史を変えた男の話をしていくぞ!
コンピュータとWebブラウザとの出会い

本名マーク・ルウェル・アンドリーセンは、ウィスコンシン州のニューリスボンという人口わずか1,500人ほどの小さな町で育ちました。
彼はスポーツにも地元の話題にも一切関心がなく、学校が終わると図書館へ直行する”情報の砂漠における飢えた野獣“でした。
そんなアンドリーセンが9歳の時、「運命」に出会います。
図書館にあったコンピュータの解説書でした。
その後、親にねだって買ってもらったマイコン「TRS-80」で、彼は完全にデジタルの世界へ没入していきます。
アンドリーセンは小学生の頃には BASIC を覚え、ゲームを制作できるようになったりと、パソコンに親しみながら成長していきました。
イリノイ大学と「時給6.85ドル」の革命

イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校(UIUC)に進学したアンドリーセン。
彼は、NCSA(米国立スーパーコンピュータ応用研究所)でアルバイトを始めます。
時給はわずか6.85ドル。しかし、ここで彼は歴史を変えることになったのです…
ブラウザ「ViolaWWW」でWebページを見て驚きました。
しかし、当時のインターネット(WWW)は、ティム・バーナーズ=リーによって発明されていたものの、画面は文字だけの退屈なものでした。
操作も難しく、物理学者同士が論文を送り合うための道具に過ぎなかったのです。
「もっと面白くできるはずだ」
アンドリーセンはインターネットが、これからの世界を変えるものになるだろうと確信。
彼は同僚のエリック・ビナと共に、狂ったようなペースでコーディングを開始しました。
彼らが目指したのは、画像とテキストを同一画面に表示でき、マウスでクリックするだけで世界中を移動できる「魔法の窓」だったのです!
Webの生みの親「ティム・バーナーズ=リー」についてはこちら!

「ここで変数がこう変わって、ここでループして…」と、頭の中の仮想マシンでデバッグまで行っていたのでおじゃる
この「物理的な制約を頭脳で突破する」という経験は、ハードウェアの制約を超えてソフトウェアで解決する彼の思考の原点と言われているぞ
先生は「途中式を書いていない」と怒ったが、「答えは合っているし、この方法の方が効率的だ」と主張したんだ
「Mosaic」の成功

「ViolaWWW」は、テキストと画像を同じウィンドウで見ることはできませんでした。
そこでまず、テキストと画像を同じウィンドウで見られるようにし、フォームをサーバーへ送ることも可能にしました。
またUnix向けだったのをWindowsやMacOSにも対応し、誰でも簡単にインストールして使用できるブラウザにしたのがアンドリーセンが開発した「Mosaic」でした!
1993年にリリースされた「Mosaic」はすぐに50%以上のシェアとなり、インターネットを普及させる原動力となりました。
アンドリーセンはこの成功に歓喜しましたが、NCSAは「Mosaic」のライセンスをアンドリーセンとビナに与えようとしませんでした。
このことに落胆したアンドリーセンはNCSAを去りました…
この頃のインターネットって、まだ一部の人しか使わなかったの?
「ネットサーフィン」という言葉ができたのは「Netscape Navigator」が世の中に広まってからだ!
ネットスケープコミュニケーションズの設立

NCSAを退社したアンドリーセンにジム・クラークからある日連絡がありました。
ジム・クラークは、ユタ大学でコンピュータグラフィックスの父と呼ばれるアイバン・サザランドの教え子であり、シリコングラフィックス社の創業者で、この時にはすでに伝説的な起業家でした。
クラークは当初、テレビの双方向通信ビジネスを考えていましたが、アンドリーセンにはやりたいことがありました。
「ジム、次はインターネットです。ブラウザをやるべきです」
22歳の若者が、業界の重鎮を説得した瞬間でした。
こうして1994年、「Mosaic Communications(のちにNetscape Communications)」を設立しました。
そして、Mosaicのコードを一行も流用せず、ゼロから書き直し、より高速で堅牢なブラウザを開発。
1994年公開された「Netscape Navigator」は、「Mosaic」の機能に加え、W3CのHTML2.0に準拠して作られました。
ハイパーリンクやテーブルレイアウトが可能になり、ツールバーは拡張され、使いやすいブラウザとなりました。
「Netscape Navigator」はたちまち人気になり、「Mosaic」を超えトップシェアの座についたのです!
任天堂と!
史上最も狂気じみたIPO
1995年8月9日、ネットスケープの株式公開(IPO)は、ドットコム・ブームの幕開けとして歴史に刻まれています。
る公開価格28ドルに対し、初値は71ドル、一時は75ドルまで高騰。
創業からわずか16ヶ月、利益などほとんど出ていない会社に、市場は数十億ドルの価値が付きました!
24歳のアンドリーセンは一夜にして5,000万ドル以上の資産を持つ億万長者となりました。
メディアは彼を「ゴールデン・ギーク(黄金のオタク)」と呼び、ビル・ゲイツに次ぐ次世代の英雄として大々的に報じました。
寝坊したの?(笑)
ブラウザ戦争の敗北

しかし、あの巨人が黙ってはいませんでした…
マイクロソフトのビル・ゲイツは、インターネットの重要性に気づくと、全社を挙げて「打倒ネットスケープ」に動き出した。
1996年にはシェア70%で圧倒的な強さを誇った「Netscape Navigator」でしたが、マイクロソフトの「Internet Explorer」がじりじりと追い上げてきていました。
Windows 95に自社製ブラウザ「Internet Explorer 」を無料で抱き合わせするという、独占禁止法ギリギリの戦術に出たのです。
有料だったNetscapeに対し、OSに標準搭載されている無料のInternet Explorer。
勝負は見えていました。
AOLによる買収と敗北
ネットスケープのシェアは急落し、アンドリーセンは開発の最前線で戦いましたが、資本の論理には勝てませんでした。
その結果、1999年にネットスケープはAOLに42億ドルで買収。
AOL はインターネット接続サービスとして更なる拡張のため、多くのユーザーを持つ「Netscape Navigator」を取り込もうとしたのでした。
その後、アンドリーセンはAOLの最高技術責任者に就任。
金額だけ見れば「成功」にも見えますが、シリコンバレーの覇権争いにおいては完全な「敗北」でした。
ブラウザ戦争の詳細についてはこちら!

この新しいブラウザの登場により、Webデザイナーにも新たな動きがみえはじめた
「Netscape Navigator」に合わせたサイトを作るデザイナーは激減してしまい、ブラウザ戦争に敗れ、2002年に開発は終了してしまった
地獄の黙示録:LoudcloudとOpsware

多くの記事はここで「彼は投資家になった」と端折ってしまいます。
しかし、実はこの期間こそが、現在のマーク・アンドリーセンという人間を形成した最も重要な時期であるのです!
彼はここで「地獄(The Struggle)」を見ました…
早すぎたクラウド「Loudcloud」
AOLの最高技術責任者となったアンドリーセンは、7か月後には早々と退社。
その後、ネットスケープコミュニケーションズでいっしょに仕事をしていた「ティム・ハウズ」や「ベン・ホロウィッツ」らとLoudCloudを設立しました。
これは現在のAWSのようなクラウドコンピューティングを、時代に10年先駆けて提供する会社でした。
Loudcloudの売上は蒸発し、資金調達も絶望的だった
「ハード・シングス」との戦い
倒産寸前の極限状態で、彼らは決断を下します。
祖業であるクラウド事業を売却し、データセンター自動化ソフトウェアの会社「Opsware(オプスウェア)」へと業態転換することでした。
これは、走っている車のタイヤを交換するような狂気の沙汰で、株価は0.35ドルまで暴落し、社員の半数が去り、投資家は訴訟をちらつかせました。
アンドリーセンとホロウィッツは、眠れない夜を何年も過ごし、吐き気を催しながら出社する日々を送りました。
徹底的な営業、製品改善、そして強靭なメンタルで会社を立て直したんだ
a16zの革命とシリコンバレーの支配者へ

2009年、アンドリーセンはベン・ホロウィッツと共にベンチャーキャピタル「Andreessen Horowitz(a16z)」を設立。
彼らが目指したのは、既存のVC業界の破壊でした。
当時のVCは、金融上がりの「銀行家」のような人間が幅を利かせ、起業家に対して上から目線で指図するのが一般的でした。
「起業家の痛みがわかるのは、起業家だけだ」
a16zは「創業者ファースト」を掲げ、パートナーは全員が元起業家であることを条件としました。
さらに、ハリウッドのタレントエージェンシーをモデルに、採用、広報、営業などの専門家チームを社内に抱え、投資先を全力でバックアップする仕組みを作ったのです!
予言の書「ソフトウェアが世界を飲み込む」
2011年、ウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿したエッセイ “Why Software Is Eating The World(ソフトウェアが世界を飲み込む理由)“ は、その後の10年間の世界経済を決定づける予言となりました。
「あらゆる産業がソフトウェア産業に変貌する。映画も、農業も、国防も、金融もだ」
当時、FacebookやGrouponなどの評価額が高すぎると批判されていましたが、アンドリーセンは「これはバブルではない、産業構造の根本的な転換だ」と言い切りました。
結果はご存知の通り。
a16zは、Facebook、Twitter、Airbnb、GitHub、Stripe、Coinbase、Robloxなど、現代を代表する企業の初期あるいは成長期に投資し、莫大なリターンを叩き出しました。
2025年現在、その運用資産額は460億ドル(約7兆円)を超え、世界最強のVCとして君臨しています。
ちなみに彼が広めた概念は「Product-Market Fit (PMF)」だ
あとは、Strong Opinions, Loosely Held 「強い意見を持て、だが固執するな」。
彼の思考スタイルの核心部分で、間違っているとわかれば即座に意見を変える柔軟性が大事ということだ
唐揚げに絶対レモンかけない派じゃないですか~?
固執してませんか?
マーク・アンドリーセンが変えた世界

マーク・アンドリーセンは、1990年代に「ブラウザ」で情報の流れを変え、2000年代に「クラウド」で企業のあり方を変え、2010年代に「ソフトウェア」で産業構造を変えました。
そして今、2020年代に「AI」で人類の知性を変えようとしています。
ネットスケープ時代、彼はこう言いました。
「変化は待つものではない。コードを書いて起こすものだ」
現在、50代半ばとなった彼ですが、その攻撃的な姿勢は少しも衰えていません。
むしろ、資金と影響力を手に入れ、その野望は国家レベルにまで拡大しています。
彼は今も、シリコンバレーの丘の上から、ソフトウェアが世界を飲み込み尽くす様を、満足げに見下ろしているのだ。
ITエンジニアの平均年収は?
マーク・アンドリーセンらの技術革新により、ますます人気の職業となったITエンジニア。
そんなITエンジニアの平均年収、ちょっと気になりませんか?
ITエンジニアの年収は、一般的に約458万円~462万円と程度といわれています。
この数字は、日本の平均年収と比べても高い水準にあります。ただし、年収は経験年数やスキルレベル、勤務先企業によって大きく異なるため、一概には言えません。
一方で、フリーランスエンジニアの平均年収は全体の平均値は約765万円で、1000万円を超える人は全体の7.5%もおり、しっかり稼げている人が会社員エンジニアよりも多い割合です。
高度な分野は、1500万円、2000万円と、さらに上も狙えて、有名企業の案件に携われるのも魅力的。
そんな世界ですから、会社員エンジニアの方の中にも、フリーランスになるか迷っている方は多いと思います。
——でも、フリーランスとして安定的に仕事を獲得できるか不安…
そんなエンジニアにとって、頼もしいパートナーとなるのが「エージェント」の存在です。
高単価の優良案件をあなたに代わり獲得し、あなたがエンジニアの仕事だけに集中することができるように二人三脚で全力でサポートするのが、エージェントの仕事です。
エージェントの仕事
- 案件獲得までの営業を完全代行
- 本業だけに集中できるようにサポート
- 案件の利益が最大限になるように交渉してくれる
エージェントと契約するということは、あなたの収入を引き上げる契機でもあるのです!
エージェントによって手取りが変わる!?

エージェントを利用することで高単価の仕事が獲得できたとします。
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エージェントサービスの手数料は一定ではなく、選ぶ業者によって、あなたの手取りが大きく上下することは、まずは知っておいていただきたい点の1つです。
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この利益還元を重視したエージェントサービスを運営しているのは、現在、15期目のIT企業「ライトコード」。
代表は当時、フリーランスとして大手有名WEBサービスなどで活躍していました。
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業者によってマージン率は非公開で、報酬の内訳を公開していないことがほとんど。
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エンジニアの手取りUPを実現させる5つのお約束

ITANKENのポイントはこの5つ。
①マージンが最大10万円で業界最安値水準(記事)
②支払いサイトは15日で業界トップクラス(記事)
③公平性と透明性を重視したお取引(記事)
④エージェントは人柄を重視(記事)
⑤開発責任者は元フリーランス(記事)
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